無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
ネリウスはその日書斎で仕事をしていた。
ひと段落ついて少し休憩しようと思っていた時だった。タイミングよくミラルカが紅茶を持ってきた。
長年の付き合いの賜物だろうか。ミラルカは仕事のパートナーとしては最高の相手だった。口うるさいところさえなければ。
ミラルカがテーブルの上にカップを置くのを待っていると、カップの代わりに封筒が置かれた。
ネリウスが顔を上げると「エル様からです」と言った。
エル────。もう愛称で呼ぶほど親しくなったらしい。ミラルカの表情は誇らしげだ。
ネリウスはやや驚きつつも手紙を開いた。だが、文字は汚く読みにくい。努力した形跡はあるが、難しかったようだ。
エルは悲惨な生活を送っていた。そんな少女がまともに字を書けるとは思えない。習い事もしていないだろうから素養などないのだろう。
しかし、読めないこともない。短い文章の中で、言いたいことはよく分かった。
「そうか」
「……そうかって、それだけですか?」
「手紙は確認した」
ネリウスがぶっきらぼうに言い放つと、ミラルカは心底呆れたように肩を落とした。
「お返事を書いて差し上げて下さい」
「返事? 俺がか」
「ちゃんと自分のことを紹介して下さい。普段のことを書いたり、どんなものが好きかとか……」
「そんなこと興味ないだろう」
「ゴチャゴチャ言わない! 元はと言えば自分が蒔いた種じゃないですか。引き取ったのならしっかり教育して下さい」
「お前に任せると言っただろう」
「内容は見ません。なるべくお早く返事を。では」
埒があかないと思ったのか、ミラルカは半ば押し付けるように部屋から出て行った。
ネリウスは紅茶を飲みながら先程の手紙をもう一度眺めた。
一度ぐらいは会いに来るのではないかと思っていたが、まさか手紙をよこされるとは思っていなかった。そこまで自分のことが嫌なのだろうか。いや、男がなのか。
エルは打ち解けてきたとはいえ、まだ完全に心を開いていない。ミラルカやファビオは別だが、自分はどう見ても男。顔を合わせたらどうなるか分からない。
そう思えば、手紙から親しくなるのは有効だ。
しかしネリウスは困った。
自己紹介をすればいいと言われたがどう言えばいいのだろうか。自分は侯爵家の当主で云々────それぐらいしか説明することがない。こう考えると本当に自分は何もない男なのだと思い知る。
なんとなく気になって連れて帰った少女に『エメラルド』という名前を与え、バラ園を与え、部屋を与え────。
なぜ自分はこれほどまでに見ず知らずの少女に尽くすのだろうか。自分でも不思議だった。
エルの顔を見たのは最初の頃だけで、向こうは気絶している時だった。今は同じ屋敷の中にいても顔を合わせることもない。赤の他人だ。
この手紙も、わざわざ返事してやる必要はない。
だが、放置できなかった。ミラルカに言われたからではない。エルがガッカリするような気がしたのだ。
仕方なく、ネリウスは筆をとった。
どう言えばエルは興味を持ってくれるだろうか。取り合えず、バラ園のことに触れてみることにした。
手紙を書き終わったのは翌日の昼過ぎだった。結局、昨日から丸々一日掛かってしまった。
書いては捨て、書いては捨て。普段仕事のやり取りしかしないためどう書けばいいか分からなかった。
だが、出来上がったものはエルが書いた手紙よりも短い。内容も大したことないのでネリウスは少し心配になった。
気の利いたことが言えないのは性分だ。ミラルカはまた呆れるだろうが、これ以上書き直してもいいものは書けないだろう。
手紙はミラルカに預けた。すぐにエルの元に届くだろう。
ひと段落ついて少し休憩しようと思っていた時だった。タイミングよくミラルカが紅茶を持ってきた。
長年の付き合いの賜物だろうか。ミラルカは仕事のパートナーとしては最高の相手だった。口うるさいところさえなければ。
ミラルカがテーブルの上にカップを置くのを待っていると、カップの代わりに封筒が置かれた。
ネリウスが顔を上げると「エル様からです」と言った。
エル────。もう愛称で呼ぶほど親しくなったらしい。ミラルカの表情は誇らしげだ。
ネリウスはやや驚きつつも手紙を開いた。だが、文字は汚く読みにくい。努力した形跡はあるが、難しかったようだ。
エルは悲惨な生活を送っていた。そんな少女がまともに字を書けるとは思えない。習い事もしていないだろうから素養などないのだろう。
しかし、読めないこともない。短い文章の中で、言いたいことはよく分かった。
「そうか」
「……そうかって、それだけですか?」
「手紙は確認した」
ネリウスがぶっきらぼうに言い放つと、ミラルカは心底呆れたように肩を落とした。
「お返事を書いて差し上げて下さい」
「返事? 俺がか」
「ちゃんと自分のことを紹介して下さい。普段のことを書いたり、どんなものが好きかとか……」
「そんなこと興味ないだろう」
「ゴチャゴチャ言わない! 元はと言えば自分が蒔いた種じゃないですか。引き取ったのならしっかり教育して下さい」
「お前に任せると言っただろう」
「内容は見ません。なるべくお早く返事を。では」
埒があかないと思ったのか、ミラルカは半ば押し付けるように部屋から出て行った。
ネリウスは紅茶を飲みながら先程の手紙をもう一度眺めた。
一度ぐらいは会いに来るのではないかと思っていたが、まさか手紙をよこされるとは思っていなかった。そこまで自分のことが嫌なのだろうか。いや、男がなのか。
エルは打ち解けてきたとはいえ、まだ完全に心を開いていない。ミラルカやファビオは別だが、自分はどう見ても男。顔を合わせたらどうなるか分からない。
そう思えば、手紙から親しくなるのは有効だ。
しかしネリウスは困った。
自己紹介をすればいいと言われたがどう言えばいいのだろうか。自分は侯爵家の当主で云々────それぐらいしか説明することがない。こう考えると本当に自分は何もない男なのだと思い知る。
なんとなく気になって連れて帰った少女に『エメラルド』という名前を与え、バラ園を与え、部屋を与え────。
なぜ自分はこれほどまでに見ず知らずの少女に尽くすのだろうか。自分でも不思議だった。
エルの顔を見たのは最初の頃だけで、向こうは気絶している時だった。今は同じ屋敷の中にいても顔を合わせることもない。赤の他人だ。
この手紙も、わざわざ返事してやる必要はない。
だが、放置できなかった。ミラルカに言われたからではない。エルがガッカリするような気がしたのだ。
仕方なく、ネリウスは筆をとった。
どう言えばエルは興味を持ってくれるだろうか。取り合えず、バラ園のことに触れてみることにした。
手紙を書き終わったのは翌日の昼過ぎだった。結局、昨日から丸々一日掛かってしまった。
書いては捨て、書いては捨て。普段仕事のやり取りしかしないためどう書けばいいか分からなかった。
だが、出来上がったものはエルが書いた手紙よりも短い。内容も大したことないのでネリウスは少し心配になった。
気の利いたことが言えないのは性分だ。ミラルカはまた呆れるだろうが、これ以上書き直してもいいものは書けないだろう。
手紙はミラルカに預けた。すぐにエルの元に届くだろう。