無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
「エル様、旦那様からお返事ですよ」

 夕食の時間、ミラルカは一通の手紙を差し出した。

 手紙は小奇麗な封筒に包まれていて、何かの紋章のスタンプで封をされている。

 それを見てエルは再確認した。ああ、やっぱりこの人は偉い人なんだと。

 恐る恐る封を開き、中を確認する。

 だが、エルは文字が苦手だ。最低限アルファベットは読めるが、教養がないため難しい言葉は分からない。

 ネリウス侯爵の字はとても綺麗だった。だが、だからこそ全く読めなかった。

 エルが困ったように見上げると、それを察したのか、ミラルカが代わりに手紙を読んだ。

「えーっと……礼は必要ない。他にほしい物があるならミラルカに伝えなさい────」

 そう言いながら、ミラルカはなんだか不服そうに眉間に皺を寄せた。そして、深いため息をついた。

「旦那様は……その、ちょっと女の子に慣れてない方なんです。ほら、エル様と一緒で」

 そうなのだろうか。エルはよく理解できなかったが、ミラルカがなんだか取り繕おうとしていることは分かった。

「と、とにかく! もしエル様が欲しい物があるならねだってみてはいかがですか?」

 エルは首を横に振った。これまでもたくさんのものをもらっている。衣食住が満たされた状態で、これ以上望むものなどなかった。むしろ十分すぎる待遇を受けていると思った。

 だが、今度はミラルカの方が困った顔をした。ミラルカはどうやらネリウス侯爵の願いを聞いて欲しいらしい。しかしエルは考えてみてもほしいものが思い付かなかった。

「そうだわ! お屋敷の中を散歩してみたいとお願いしたらいかがですか? お庭とここだけでは退屈しますでしょう? 屋敷には私とファビオ以外にも働いている者がたくさんいるのです、その者たちも皆エル様に会ってみたいと申しておりますし、顔合わせに晩餐に参加するのもいいですね」

 ミラルカは興奮気味に言った。

 エルは「晩餐」が何か分からず、また首をかしげた。

「夕食のことです。せっかくですから、旦那様と皆で一緒にエル様の歓迎会を開くのも良さそうだわ。いかがでしょう?」

 エルは返答を渋った。

 ミラルカとルーシー、ファビオには慣れたがその他の人間には会ったことがない。ミラルカ以外は皆男だと聞いている。

 せっかくミラルカが誘ってくれている。本当は行くべきなのだろうが、どうにも気が進まない。

「もちろん、今すぐでなくてもいいのですよ。ただ、私もご一緒しますし、安心して召し上がって頂けると思ったのですが……」

 ────ミラルカさんが一緒。

 それなら、多少は気分も紛れるだろうか。

 この屋敷はあの男の家ではない。怖い人はいない。自分に暴力を振るったりする人はいない────はずだ。

 ネリウス侯爵は今までたくさん親切にしてくれた恩人だ。だからきっと大丈夫。ネルは自分に言い聞かせた。

『いきます』

 紙に書くと、ミラルカは目を見開いた。

「来てくださるのですか?」

『ミラルカさんがいるなら行きます』

 エルはしっかりと頷いた。

「やった! ええと、じゃあ準備しないといけませんね! ルーシーに仕立てを頼んでシェフにディナーのコースを────」

『ルーシーも来るんですか?』

「いいえ。ルーシーにはドレスを頼むんです。ディナーですから綺麗な格好をしていきましょうね。ルーシーのドレスは本当に綺麗ですよ。街一番のお針子ですから」

 ミラルカはウインクをすると上機嫌で部屋から出て行った。




 その後すぐにルーシーが屋敷にやって来た。

 本格的にエルの体の寸法を図り、デザインの打ち合わせを行った。

 その間エルは両手を広げて立っていただけだ。ほとんどのことはミラルカとルーシーが決めてしまった。

 もちろん文句などなかったが、二人は人のドレスのことだというのにきゃっきゃと盛り上がっている。まるで自分のドレスを作るみたいだ。

「エル様、どんな色がよろしいですか?」

『なんでもいいです』

「グリーンはどうかしら。エル様の目の色と合わせるの。きっと綺麗よ」

「そうですね……グリーンなら落ち着いてるし派手すぎることもないですね。それにしましょう」

 エルはなんでも構わなかった。ドレスなど着たこともないし、好みもない。ただ、二人がいいと思うものにしようと思った。

 


 その三週間後。ルーシーは完成されたドレスを持って屋敷を訪れた。

 届けられたドレスは淡いエメラルドグリーンで、身長が低いせいで子供っぽく見えてしまうエルを大人っぽく見せるようなデザインだ。

 体のあざはルーシーの配慮で見えないような形になっている。

「まぁ、なんて素敵なドレスなんでしょう! さすがルーシーね」

 ドレスを見てミラルカは感嘆の声を上げた。エルも初めてドレスを見てつい見惚れてしまった。

 三週間もかけて作ったのだ。きっと大変だったことだろう。

「気に入ってくれた?」

 見たことがないほど綺麗なドレスに、思わずエルは笑顔になった。

 こんなものを自分が着られるなんて信じられない。二人に深く感謝した。
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