無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
 晩餐の約束をした夜。エルはルーシーが作ったドレスを着て食堂に向かった。

 夜に屋敷の中を歩いたのは初めてだ。廊下には美しい洋燈が灯っていて、足元には高そうな絨毯が敷かれている。

「今日は屋敷のみんなが集まっていますけど、席は離れているから安心してくださいね」

 食堂に着くまでの間、少しでも不安を無くそうとしているのかミラルカは絶えず喋り続けた。

 エルは緊張していた。話は色々聞かされているが、会うのは初めての人たちばかりだ。

 自分はどう思われているのだろう。邪険にそれていたら────そう思うと少し怖かった。

 食堂の前に着くと、まずミラルカが扉をノックした。扉を開けると、「旦那様、お連れしましたよ」と声を掛けた。

「旦那様」が中にいるのだ。エルはミラルカの背中に隠れた。

「さ、エル様」

 促されてようやく、前に出た。

 扉から奥を眺める。広い食堂には長いテーブルが置かれていた。そこには十数人ほどの人が座っていた。思っていたよりも少なかった。

 硬直していると、ミラルカが手を取って、ゆっくりと導いた。

「エル様、大丈夫ですよ」

 エルはおずおずと席に着いた。長いテーブルの一番端っこの席だ。ミラルカはそのすぐ横の席に座った。

 ふと前を向くと、ちょうど真向かいに男性が座っていることに気が付いた。

 その人物と目が合ってしまい、咄嗟に顔を背ける。一瞬しか見えなかったが、綺麗な男性だったような気がする。

 エルは失礼なことをしてしまったのではないかと困ってミラルカを見つめた。

「大丈夫ですよ。怖くありませんから」

 何度もそう言われ、エルはもう一度顔をあげた。

 たくさんの男の人が座っていた。だが、思っていたほど怖いとは思わなかった。みんなニコニコ笑っている。一番奥に座る、若干一名以外は。

 そのおかげか、だいぶん緊張が和らいだ。

「ほら、旦那様。なにか言うことはないんですか?」

「なにをだ」

 エルの真向かいに座っていた無表情な若い男性が口を開いた。

 エルはこの人が旦那様なんだ、と思った。

 白いシャツにサラリとした金髪。思っていた旦那様像とはかなり違う。意外にもシンプルな格好だ。

「わざわさ今日のためにルーシーに作らせたんですよ。いかがですか?」

「どうって……」

 ネリウスはエルに視線を向けた。

「いいんじゃないか」

 だが、ネリウスはそっけなく言うと目線を逸らした。

「もうっ! エル様、申し訳ありません。旦那様は女性に不慣れな方でいらっしゃいますから、気の利いた言葉が言えないんです。どうか気を悪くしないで下さいね」

 エルは気にしていないと首を振った。

 つっけんどんな言い方だが、嫌われているわけではないらしい。

 今日を迎えるまで、ネリウスの性格は色々聞いたが、ルーシーもミラルカも口を揃えて無愛想だと言っていた。だから喋らなくても気にしないでと。ネリウスはこれが普通なのだろう。

「じゃあせっかく揃っているからお屋敷のみんなを紹介しますね」

 ミラルカはテーブルに着いた従者達を順に紹介していった。

 執事のヒューク、庭師のファビオ、門番のジャック────。一度には覚えられないため、持ってきた筆談用の紙にメモした。

 従者の紹介を聴きながら、エルは少しホッとした。

 皆優しそうな人だった。男の人ばかりだが、ミラルカが言っていた通り怖い人はいない。

「では最後に。一番端に座っているのがこのお屋敷の主人、ネリウス・フォン・ベッカー侯爵様です。さ、旦那様。挨拶してください」

 ミラルカに求められると、ネリウスは気不味そうに視線を逸らした。

 従者たちはニヤニヤしながらネリウスを見ている。

「……まぁ、アレだ。屋敷の中は自分の家と思え。好きに使っていい」

 だが、ネリウスの反応を聞いた途端、食堂中にため息が響き渡った。ネリウス以外の従者たちは皆呆れたような顔をしている。

「はあ……やっぱりね。もう結構です。そして、メイド長の私、ミラルカ。これが屋敷に仕えている全員です。これからよろしくお願いしますね、エル様」

 どうやら、ネリウスを含めそのほかの人物も思っていた印象とはかなり違うようだ。

 まず、侯爵邸の人間は皆仲よく見えた。それに驚いたのはネリウスと他の従者達の関係だ。

 エルは世間知らずだが、主人と召使いが同じ食事の席につかないことぐらいは知っている。主人は召使いに命令するもの。偉そうにしているものだと思っていた。

 だが、ネリウスは従者達と同じテーブルに着いても嫌がる素振りも見せないし、気にもしていないようだ。

 ミラルカもネリウスには遠慮なく発言している。皆心を許し合った仲なのかもしれない。

 
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