無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
『聞きたいことがあります』
ミラルカがいつものようにエルの部屋に紅茶を運びに行くと、エルは紙に字を書いて見せた。ミラルカは何気なく返事した。
「はい、なんでしょう」
先日読んだ日記のことは誰にも話していなかった。エルのプライベートな部分だ。勝手に喋っていいことではない。それに自分が話してまた物事が悪い方に進むのも嫌だった。
その内容を話せばきっとネリウスは喜ぶ。だが、そんなやり方が正しいとは思えなかった。
エルはまた紙に文字を書いてミラルカに見せた。
『この間、屋敷の鍵が掛かった部屋に行こうとしたらネリウス様に怒られました』
「あそこへ行ったの!?」
ミラルカは驚いてつい大声をあげた。驚いたエルは目を見開いた。
ベッカー邸は数多くの部屋があるが、施錠されている部屋は一つしかない。その部屋がどこの部屋かミラルカはすぐに分かった。
その部屋はダンスホールだ。エルが記憶をなくしてから、ネリウスが鍵をかけるように命じ、誰も入らなくなった部屋。
ネリウスはエルが虐待の記憶を取り戻すことを恐れていた。しかしそれは建前だろう。本当は違う。再び自分を怖がるようになるのを恐れていたのだ。
だが二人にとって、あのダンスホールで踊ったことは大切な思い出のはずだ。
日記を読んだ今ならわかる。エルもきっと、ネリウスと踊ったあのダンスホールを大事に思っていた。
そのエルが、自らダンスホールに近づいたのは好奇心からだろうか? それとも、記憶が戻りかけているのか?
『危ないから入ってはいけないと言われました。ネリウス様はすごく怒っていました。あそこで何かあったんですか?』
その言葉を見て、内心ホッとした。エルはまだ思い出していない。話さなければきっとこのまま納得するだろう。
────旦那様が怒った。ミラルカはその事実を聞いてなんだか悲しく思った。
エルが記憶をなくしてから、ネリウスは穏やかになった。人と接することも増えた。口数も多くなった。
そう言うと聞こえはいいが、彼本来の性格ではない。恐らく、エルが自分を思い出して怖がることを恐れているのだろう。
ネリウスはそう見えないように装っているが、繊細な性格をしている。エルが傷付けば自分も傷付く。エルのために無理することを厭わない。
だが、本当にこのままでいいのだろうか。全員笑っている。けれど、これは本当の幸せではない。
「……エル様、私達はいつもあなたを大事に思ってきました。それは、あなたが私たちに幸福をくれたからです」
エルはキョトンとしてなんのことだか分からない様子だ。ミラルカは続けた。
「もし、あなたが記憶を思い出したいのなら……私は協力します。でも、忘れないでください。あなたを思う大切な人がいたことを。あなたがどんな記憶を思い出しても、私たちは味方です。絶対にそれを忘れないで……」
ミラルカは、ポケットの中からマスターキーを取り出した。メイド長であるミラルカ、そして執事のヒューク、そしてネリウスしか持っていないものだ。
これを渡したらどうなるか分からない。エルはまた混乱してしまうかもしれない。自分達を怖がるようになるかもしれない。
けれど、あの場所を見れば思い出すかもしれない。あそこがネリウスと過ごしたとても大切な場所だということを。自身がネリウスを愛していたということを。
「そこにいけば、エル様の最も愛する記憶を思い出すはずです」
そう願うしかできなかった。
ミラルカがいつものようにエルの部屋に紅茶を運びに行くと、エルは紙に字を書いて見せた。ミラルカは何気なく返事した。
「はい、なんでしょう」
先日読んだ日記のことは誰にも話していなかった。エルのプライベートな部分だ。勝手に喋っていいことではない。それに自分が話してまた物事が悪い方に進むのも嫌だった。
その内容を話せばきっとネリウスは喜ぶ。だが、そんなやり方が正しいとは思えなかった。
エルはまた紙に文字を書いてミラルカに見せた。
『この間、屋敷の鍵が掛かった部屋に行こうとしたらネリウス様に怒られました』
「あそこへ行ったの!?」
ミラルカは驚いてつい大声をあげた。驚いたエルは目を見開いた。
ベッカー邸は数多くの部屋があるが、施錠されている部屋は一つしかない。その部屋がどこの部屋かミラルカはすぐに分かった。
その部屋はダンスホールだ。エルが記憶をなくしてから、ネリウスが鍵をかけるように命じ、誰も入らなくなった部屋。
ネリウスはエルが虐待の記憶を取り戻すことを恐れていた。しかしそれは建前だろう。本当は違う。再び自分を怖がるようになるのを恐れていたのだ。
だが二人にとって、あのダンスホールで踊ったことは大切な思い出のはずだ。
日記を読んだ今ならわかる。エルもきっと、ネリウスと踊ったあのダンスホールを大事に思っていた。
そのエルが、自らダンスホールに近づいたのは好奇心からだろうか? それとも、記憶が戻りかけているのか?
『危ないから入ってはいけないと言われました。ネリウス様はすごく怒っていました。あそこで何かあったんですか?』
その言葉を見て、内心ホッとした。エルはまだ思い出していない。話さなければきっとこのまま納得するだろう。
────旦那様が怒った。ミラルカはその事実を聞いてなんだか悲しく思った。
エルが記憶をなくしてから、ネリウスは穏やかになった。人と接することも増えた。口数も多くなった。
そう言うと聞こえはいいが、彼本来の性格ではない。恐らく、エルが自分を思い出して怖がることを恐れているのだろう。
ネリウスはそう見えないように装っているが、繊細な性格をしている。エルが傷付けば自分も傷付く。エルのために無理することを厭わない。
だが、本当にこのままでいいのだろうか。全員笑っている。けれど、これは本当の幸せではない。
「……エル様、私達はいつもあなたを大事に思ってきました。それは、あなたが私たちに幸福をくれたからです」
エルはキョトンとしてなんのことだか分からない様子だ。ミラルカは続けた。
「もし、あなたが記憶を思い出したいのなら……私は協力します。でも、忘れないでください。あなたを思う大切な人がいたことを。あなたがどんな記憶を思い出しても、私たちは味方です。絶対にそれを忘れないで……」
ミラルカは、ポケットの中からマスターキーを取り出した。メイド長であるミラルカ、そして執事のヒューク、そしてネリウスしか持っていないものだ。
これを渡したらどうなるか分からない。エルはまた混乱してしまうかもしれない。自分達を怖がるようになるかもしれない。
けれど、あの場所を見れば思い出すかもしれない。あそこがネリウスと過ごしたとても大切な場所だということを。自身がネリウスを愛していたということを。
「そこにいけば、エル様の最も愛する記憶を思い出すはずです」
そう願うしかできなかった。