無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
「ミラルカ、エルはまだなのか?」
晩餐の席に着いて少しして、ネリウスは横に控えていたミラルカに尋ねた。
ネリウスは今まで一人で食事することが多かったが、エルが記憶をなくしてからは、特別仕事がなければ必ずエルと一緒に食事を摂るようになった。食事の時間はエルと顔を合わせる貴重な機会だった。
「エル様は────」
だが、ミラルカは言葉を濁した。
ミラルカがなかなか答えようとしないからか、痺れを切らしたネリウスは再度尋ねた。
「エルはどこにいる?」
煮え切らない返事にネリウスは席を立ち、ミラルカに詰め寄った。
「何を隠してる? 何かあったのか?」
「……エル様に鍵を渡しました」
ネリウスは目を見開いた。
鍵。そう言われただけで何のことかわかったのだろう。普段感情を抑えているネリウスが怒りを露わにするほどあの部屋に執着していることは知っていた。
「お前……っなんであれを渡したんだ! それがどういうことか分かってるのか!?」
「分かってます……! でも、渡さなきゃならなかった……私は、私は……」
ミラルカは日記を読んで知ってしまった。エルの本当の気持ちを。それを知ってなお、隠すことはできなかった。
「アイツがもしまた思い出したら……またもし……っ」
────傷ついたら、拒絶されたら、泣いたら。そんな言葉が聞こえてきそうだった。
ネリウスは混乱しているようだった。恐れているのだ。エルが再び過去のことを思い出し、自分を避けることを。
けれどこのままでは何も変わらない。近付いているようで心は離れたままだ。
「だから、私は賭けたんです。私はエル様の一番の理解者でいるつもりです。彼女が本当に望むことは……」
ネリウスが自分を想ってくれること。それだけだ。
だけどそれを伝えることはできない。だからせめて、愛した人を思い出して欲しかった。
エルが日記に綴った思いには悲しみもあったが、ネリウスに対する喜びや幸福で溢れていた。
エルは絶望の中から抜け出して、初めて愛することが出来たネリウスをとても大事にしていたのだ。
だからネリウスのために心を殺して、ネリウスのために愛する気持ちすら失ったのだ。
どんなに辛いことだろう。傷ついた少女がやっと愛することが出来た人を忘れなければならなかった気持ちを思うとやりきれない。
「俺はもう……エルに辛い思いはさせたくなかった! だからあの部屋は絶対に開いちゃいけなかったんだ! なのに……」
バチンと乾いた音がした。ミラルカの手が、ネリウスの頬を叩いていた。ミラルカはわなわなと震え、ネリウスを見つめた。
「あなたは……いつまで弱音を吐くおつもりですか!? 彼女は……彼女がどれだけあの部屋を大事にしていたか……どれだけ、あの部屋の記憶を愛していたか……あなたならわかるはずです!」
「エルが、あの部屋を……?」
「あなたはただ拒絶されたくないだけです! エル様の本当のお気持ちを無視して、何が傷つけたくないですか……っエル様が大事にしていたのは……愛していたのは……」
考えなくたって分かるはずだ。エルはネリウスに笑いかけていたはずなのだから。
ずっと見つめていたバラや、読み老けた本。気遣ってくれる手紙。それら全てが表すもの。
エルは恐怖してなどいなかった。愛しいその瞳を見つめられることを喜びだと思っていた。その瞳に見つめられていたネリウスなら分かるはずだ。
「俺を……?」
ミラルカは涙をいっぱいに溜めた瞳で笑って頷いた。そして「早く、いってあげてください」と呟いた。
晩餐の席に着いて少しして、ネリウスは横に控えていたミラルカに尋ねた。
ネリウスは今まで一人で食事することが多かったが、エルが記憶をなくしてからは、特別仕事がなければ必ずエルと一緒に食事を摂るようになった。食事の時間はエルと顔を合わせる貴重な機会だった。
「エル様は────」
だが、ミラルカは言葉を濁した。
ミラルカがなかなか答えようとしないからか、痺れを切らしたネリウスは再度尋ねた。
「エルはどこにいる?」
煮え切らない返事にネリウスは席を立ち、ミラルカに詰め寄った。
「何を隠してる? 何かあったのか?」
「……エル様に鍵を渡しました」
ネリウスは目を見開いた。
鍵。そう言われただけで何のことかわかったのだろう。普段感情を抑えているネリウスが怒りを露わにするほどあの部屋に執着していることは知っていた。
「お前……っなんであれを渡したんだ! それがどういうことか分かってるのか!?」
「分かってます……! でも、渡さなきゃならなかった……私は、私は……」
ミラルカは日記を読んで知ってしまった。エルの本当の気持ちを。それを知ってなお、隠すことはできなかった。
「アイツがもしまた思い出したら……またもし……っ」
────傷ついたら、拒絶されたら、泣いたら。そんな言葉が聞こえてきそうだった。
ネリウスは混乱しているようだった。恐れているのだ。エルが再び過去のことを思い出し、自分を避けることを。
けれどこのままでは何も変わらない。近付いているようで心は離れたままだ。
「だから、私は賭けたんです。私はエル様の一番の理解者でいるつもりです。彼女が本当に望むことは……」
ネリウスが自分を想ってくれること。それだけだ。
だけどそれを伝えることはできない。だからせめて、愛した人を思い出して欲しかった。
エルが日記に綴った思いには悲しみもあったが、ネリウスに対する喜びや幸福で溢れていた。
エルは絶望の中から抜け出して、初めて愛することが出来たネリウスをとても大事にしていたのだ。
だからネリウスのために心を殺して、ネリウスのために愛する気持ちすら失ったのだ。
どんなに辛いことだろう。傷ついた少女がやっと愛することが出来た人を忘れなければならなかった気持ちを思うとやりきれない。
「俺はもう……エルに辛い思いはさせたくなかった! だからあの部屋は絶対に開いちゃいけなかったんだ! なのに……」
バチンと乾いた音がした。ミラルカの手が、ネリウスの頬を叩いていた。ミラルカはわなわなと震え、ネリウスを見つめた。
「あなたは……いつまで弱音を吐くおつもりですか!? 彼女は……彼女がどれだけあの部屋を大事にしていたか……どれだけ、あの部屋の記憶を愛していたか……あなたならわかるはずです!」
「エルが、あの部屋を……?」
「あなたはただ拒絶されたくないだけです! エル様の本当のお気持ちを無視して、何が傷つけたくないですか……っエル様が大事にしていたのは……愛していたのは……」
考えなくたって分かるはずだ。エルはネリウスに笑いかけていたはずなのだから。
ずっと見つめていたバラや、読み老けた本。気遣ってくれる手紙。それら全てが表すもの。
エルは恐怖してなどいなかった。愛しいその瞳を見つめられることを喜びだと思っていた。その瞳に見つめられていたネリウスなら分かるはずだ。
「俺を……?」
ミラルカは涙をいっぱいに溜めた瞳で笑って頷いた。そして「早く、いってあげてください」と呟いた。