無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
第12話 蜜月
エルの記憶が戻りベッカー邸は幸福に包まれていた。
エルはもうネリウス達を怖がらなくなっていた。辛い記憶はある。だが、それ以上に幸福な記憶がエルを苦しみから守っていた。
「エル様、お庭でお茶でもいかがでしょう。今日はすごくお天気がいいんですよ」
ミラルカからの提案に、エルはニッコリ笑った。
ネリウスは相変わらず仕事が忙しく日中いないことが多いが、ミラルカがいつもそばにいてくれたので寂しくはなかった。
それにネリウスは帰って来ると必ずエルの部屋に来て話してくれるようになった。お喋りは相変わらず苦手なようだが、それでもなるべく今日あったことや、調子を尋ねてくれる。その時間は心地いいものだった。夜が来るのが楽しみなほど。
二人で庭に移動して、いつものようにエルの特等席────ベンチの上に座る。ミラルカは手際よくテーブルにお茶とデザートを用意し始めた。
「そういえば、少し先ですがうちの屋敷でパーティーがあるんです」
エルは意外に思った。ネリウスが人嫌いなため、ベッカー邸で華やかな催し物は開かなくなったと以前聞いた。だが、ネリウスも侯爵だ。仕事上仕方のないこともあるのだろう。
「旦那様のお仕事関係の方達を招いて盛大にするつもりなのですが、エル様も是非参加して頂きたくて」
パーティはいつぶりだろうか。だが、エルはすぐに頷けなかった。
怖い記憶もある。それに、自分の素性が誰かに知られたらネリウスが困るのではないかという不安もあった。
するとミラルカが勇気づけるように言った。
「大丈夫です。エル様を怖がらせた人間は旦那様が懲らしめました。もう会うことはないでしょう」
驚いてえっ、と顔をあげた。それはどういうことだろう。ネリウスは何かしたのだろうか。
だが、ミラルカはそれ以上は説明せず、にっこりと笑った。気にするなということだろうか。ミラルカなりの配慮なのだろう。
「エル様は旦那様の恋人なのですから出席しませんと! また、お二人でダンスの練習が出来ますね」
恋人────そんなふうに言われると顔が熱くなった。
いまだに信じられないが、自分はネリウスの恋人になった。あの時のように不安がる必要はないのかもしれない。またネリウスと踊れると思うと、なんだか嬉しくなった。
大切な記憶の中にあるネリウスとのダンスの思い出。またあのホールで踊れる日が来るのだ。
「少し先ですけど、色々準備もありますのでエル様のお召し物も早めに用意しておきましょうね。今度はどんなドレスがいいかしら」
『緑がいいです』
エルは紙に書くと嬉しそうにミラルカに見せた。ミラルカは意外そうに見つめた。
「でも、エル様はパーティーのたびに緑のドレスをお召しです。いくら旦那様の好みとはいえ……もっと似合うものがあると思いますよ」
『緑は、ネリウス様が選んでくれた色です』
ネリウスは何か贈り物をするとき、必ず緑色の物を選んだ。自分の目の色が緑だからだ。だからその色は、自分にとってとても大切な色になった。
ミラルカは仕方なさそうに笑った。
夜もふけた頃、今日もエルが寝床につこうとしたくらいのタイミングで、馬の嗎が聞こえた。ネリウスが帰って来たのだ。
エルはすぐにベッドから飛び起き、そわそわしながらネリウスを待った。
ネリウスは馬車から降りるとまっすぐここへ来てくれる。約束しているわけではないが、毎回そうしてくれる。
廊下から足音が聞こえてくると幸せな気分になった。ドアの方を眺めていると、ノック音がしてネリウスが入って来た。
「今日も待ってたのか。寝ていてもよかったんだぞ」
せっかくネリウスが来てくれるのに、寝てなんていられない。エルはにこにこしながら首を横に振った。
ネリウスと会うときはほとんど筆談を使わなくなった。表情と口の動きで、いつもエルの考えていることを当ててくれるからだ。そうすると心が通じ合っているようでエルは嬉しかった。
いつものようにソファに腰掛け、疲れた体を背もたれに預ける。
今日も遅くまで仕事をしていたのだろう。疲れたとは言わないが、元気そうには見えない。
「大丈夫だ。ちゃんと寝てるし食事もとってる。お前こそいつも起きてるがちゃんと寝てるのか? 無理せずに横になっていいんだぞ」
────ネリウス様と会いたかったの。私はあなたと話せるこの時間が好きだから。
エルは首を横に振った。ネリウスとはいつも一緒にいられるわけではない。それでも以前より時間も増えたし話すことも増えた。ただ、そのためにネリウスが時間を作ろうと無理をしているのを知っていたから、この時間を無駄にできなかった。
「それで、今日は何をしてたんだ」
エルはミラルカとお茶したことや、パーティーの話を伝えた。
ベッカー邸で開かれるパーティだからネリウスも知っているはずだ。
「少し先って言っても、準備してたらすぐだ。お前も来るだろう。またミラルカに言ってドレスを用意させないとな」
エルは紙に『緑がいいです』と書いて見せた。だが、ネリウスは不服そうに眉を顰めた。
「緑? またか?」
ネリウスから予想外な返事が返って来たのでエルは驚いた。ネリウスは緑色のものを送ることが多いから、この選択を喜ぶと思っていた。もう飽きてしまったのだろうか。
「白は嫌いか?」
エルが残念そうな顔をしていると、ネリウスは少し目を逸らして恥ずかしそうにした。
エルはどういうことかわからず首をひねった。
「……また、いつかな。ドレスの件はまたミラルカに伝えておく」
エルはもうネリウス達を怖がらなくなっていた。辛い記憶はある。だが、それ以上に幸福な記憶がエルを苦しみから守っていた。
「エル様、お庭でお茶でもいかがでしょう。今日はすごくお天気がいいんですよ」
ミラルカからの提案に、エルはニッコリ笑った。
ネリウスは相変わらず仕事が忙しく日中いないことが多いが、ミラルカがいつもそばにいてくれたので寂しくはなかった。
それにネリウスは帰って来ると必ずエルの部屋に来て話してくれるようになった。お喋りは相変わらず苦手なようだが、それでもなるべく今日あったことや、調子を尋ねてくれる。その時間は心地いいものだった。夜が来るのが楽しみなほど。
二人で庭に移動して、いつものようにエルの特等席────ベンチの上に座る。ミラルカは手際よくテーブルにお茶とデザートを用意し始めた。
「そういえば、少し先ですがうちの屋敷でパーティーがあるんです」
エルは意外に思った。ネリウスが人嫌いなため、ベッカー邸で華やかな催し物は開かなくなったと以前聞いた。だが、ネリウスも侯爵だ。仕事上仕方のないこともあるのだろう。
「旦那様のお仕事関係の方達を招いて盛大にするつもりなのですが、エル様も是非参加して頂きたくて」
パーティはいつぶりだろうか。だが、エルはすぐに頷けなかった。
怖い記憶もある。それに、自分の素性が誰かに知られたらネリウスが困るのではないかという不安もあった。
するとミラルカが勇気づけるように言った。
「大丈夫です。エル様を怖がらせた人間は旦那様が懲らしめました。もう会うことはないでしょう」
驚いてえっ、と顔をあげた。それはどういうことだろう。ネリウスは何かしたのだろうか。
だが、ミラルカはそれ以上は説明せず、にっこりと笑った。気にするなということだろうか。ミラルカなりの配慮なのだろう。
「エル様は旦那様の恋人なのですから出席しませんと! また、お二人でダンスの練習が出来ますね」
恋人────そんなふうに言われると顔が熱くなった。
いまだに信じられないが、自分はネリウスの恋人になった。あの時のように不安がる必要はないのかもしれない。またネリウスと踊れると思うと、なんだか嬉しくなった。
大切な記憶の中にあるネリウスとのダンスの思い出。またあのホールで踊れる日が来るのだ。
「少し先ですけど、色々準備もありますのでエル様のお召し物も早めに用意しておきましょうね。今度はどんなドレスがいいかしら」
『緑がいいです』
エルは紙に書くと嬉しそうにミラルカに見せた。ミラルカは意外そうに見つめた。
「でも、エル様はパーティーのたびに緑のドレスをお召しです。いくら旦那様の好みとはいえ……もっと似合うものがあると思いますよ」
『緑は、ネリウス様が選んでくれた色です』
ネリウスは何か贈り物をするとき、必ず緑色の物を選んだ。自分の目の色が緑だからだ。だからその色は、自分にとってとても大切な色になった。
ミラルカは仕方なさそうに笑った。
夜もふけた頃、今日もエルが寝床につこうとしたくらいのタイミングで、馬の嗎が聞こえた。ネリウスが帰って来たのだ。
エルはすぐにベッドから飛び起き、そわそわしながらネリウスを待った。
ネリウスは馬車から降りるとまっすぐここへ来てくれる。約束しているわけではないが、毎回そうしてくれる。
廊下から足音が聞こえてくると幸せな気分になった。ドアの方を眺めていると、ノック音がしてネリウスが入って来た。
「今日も待ってたのか。寝ていてもよかったんだぞ」
せっかくネリウスが来てくれるのに、寝てなんていられない。エルはにこにこしながら首を横に振った。
ネリウスと会うときはほとんど筆談を使わなくなった。表情と口の動きで、いつもエルの考えていることを当ててくれるからだ。そうすると心が通じ合っているようでエルは嬉しかった。
いつものようにソファに腰掛け、疲れた体を背もたれに預ける。
今日も遅くまで仕事をしていたのだろう。疲れたとは言わないが、元気そうには見えない。
「大丈夫だ。ちゃんと寝てるし食事もとってる。お前こそいつも起きてるがちゃんと寝てるのか? 無理せずに横になっていいんだぞ」
────ネリウス様と会いたかったの。私はあなたと話せるこの時間が好きだから。
エルは首を横に振った。ネリウスとはいつも一緒にいられるわけではない。それでも以前より時間も増えたし話すことも増えた。ただ、そのためにネリウスが時間を作ろうと無理をしているのを知っていたから、この時間を無駄にできなかった。
「それで、今日は何をしてたんだ」
エルはミラルカとお茶したことや、パーティーの話を伝えた。
ベッカー邸で開かれるパーティだからネリウスも知っているはずだ。
「少し先って言っても、準備してたらすぐだ。お前も来るだろう。またミラルカに言ってドレスを用意させないとな」
エルは紙に『緑がいいです』と書いて見せた。だが、ネリウスは不服そうに眉を顰めた。
「緑? またか?」
ネリウスから予想外な返事が返って来たのでエルは驚いた。ネリウスは緑色のものを送ることが多いから、この選択を喜ぶと思っていた。もう飽きてしまったのだろうか。
「白は嫌いか?」
エルが残念そうな顔をしていると、ネリウスは少し目を逸らして恥ずかしそうにした。
エルはどういうことかわからず首をひねった。
「……また、いつかな。ドレスの件はまたミラルカに伝えておく」