無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
 ネリウスの書斎に呼ばれて、ミラルカは改めて思った。「エル様がこの人の恋人になってくださって本当によかった」と。

「何を見てるんだ。早くコーヒーを入れろ」

 つっけんどんに言い放つベッカー邸の主人、ネリウスは手元の書類から目を離さない。

 ミラルカは大きな大きなため息をついた。

「ああ、さっき聞いたイメージが……やっぱり旦那様は旦那様ですね」

「なんのことだ」

「本当に、エル様は旦那様をまるで聖人みたいに仰いますが、今の様子を一部始終見せて差し上げたいわ」

「いいから、早くコーヒーを淹れろ。部屋に来てから何分経ってると思ってるんだ」

「はいはい」

 ────この物言いがなければそれなりに格好いい紳士だというのに。ミラルカは心の中で悪態をついた。

 こんな人でも好きになってくれる人がいるのだから本当に驚きだ。

 ネリウスは見た目もいいし身分も高いが、対人スキルが著しく低いことが気がかりだ。パーティに行っても笑わないネリウスは巷では「氷のように冷たい侯爵」などとと言われているらしい。

 それでも外見のおかげで女性からは好かれるそうだが、肝心のネリウスがこうなのでその好意は長続きした試しがなかった。

「そういえば旦那様、エル様にプロポーズなさったんですか?」

 ミラルカの言葉を聞いて、ネリウスは淹れたばかりの盛大にコーヒーをぶちまけた。

「……書類が濡れた」

「コーヒーをぶちまけたのは旦那様ですよ」

「お前がそんなこと聞くからだ」

「エル様に遠回しにウエディングドレスを着て欲しいって言ったのでしょう? 聞いてますよ」

「……ああ、言った。けど、エルは分かってなかっただろう」

「早くプロポーズしないと、どこかの男に攫われてしまいますよ。あんなにお綺麗でお優しい方がほんとにどうしてこんな旦那様をお好きなのか……」

「ミラルカ、そんなに休暇が欲しいのか? 今すぐその口を閉じろ。今すぐだ」

「いいえ言わせていただきます! エル様はご旦那様のことを優しいとよく仰いますが、多少肉食にならないと先が思いやられますよ」

「……お前はエルを守りたいのか襲わせたいのかどっちなんだ。子供じゃないんだぞ。エルの気持ちも待ってやらないと……」

「ホラ出た。相手のためと言いながら尻込む癖。本当は断られたら悲しいから誘えないだけじゃないですか?」

「うるさいぞ! 黙ってコーヒー飲ませろ!」

 ネリウスが怒ったので、ミラルカは仕方なく外へ出た。

 少々焚き付けすぎただろうか。だが、ここまで言わなければあの奥手なネリウスは動こうとしない。

 尻込むのはエルを思うがゆえ、そして拒絶された時の予防線だ。

 いくら事態が収束したとはいえ、エルが男に乱暴されていたのは事実だ。表面上は見えないが、精神的なダメージが消えたとはいえない。だから恋人になった今でも深く関わることに遠慮する。

 しかし、エルはきっと受け入れるのではないだろうか。他でもないネリウスに言われて、断る姿は想像できない。ただ問題はネリウスの方だ。こういう時男の方が意気地なしだから困ったものだ。
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