無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
 翌日、ネリウスはエルを連れて近くの丘へ向かった。

 快晴の空に風が吹いて、草や花が揺れている。

 景色いっぱいに名前も知らない花がたくさん咲いていた。初めて来た場所に興奮したのか、エルは馬車から降りると一人で丘へ飛び出した。

 風がとても気持ちいい。それがほんのり花の香りを運んでいた。

「気に入ったか?」

 笑顔で頷いたエルに満足して、ネリウスはそこに腰を下ろした。

 最近は書類と睨めっこすることが多かったからか、開放的な景色に思わず力が抜ける。ゴロンと横になると柔らかい草の感触が気持ちよかった。

 ネリウスが横になるとエルも隣に座って寝転んだ。二人して横になって、真っ青な空を見上げた。

「ここにいたら寝そうだな」

 二人の間に手をそっと置くと、エルはそれに応えるように掌を重ねた。エルが警戒しなかったことにホッとした。ネリウスはそのままエルの指をそっと握った。

「エル……俺といて幸せか?」

 エルはすぐに頷いた。疑う必要もないことはエルの表情が証明していた。幸福そうな顔を見れば、それが真実なのだと安心できた。

「俺もお前がいて幸せだ」

 ネリウスもそう返すと、エルは柔らかく笑い、恥ずかしそうに自分の手と繋がれたネリウスの指に軽くキスをした。

 見間違いだろうか────。

 ネリウスはその行動に、あまりにも驚きすぎて二の句が継げなかった。エルの方からそんなことをするとは思っても見なかったのだ。

 エルは最初恥ずかしそうに目をそらしていたが、ネリウスが呆然としているのを見て今更慌て始めた。

 女性からそのような行動を取ることは褒められたことではない。と、幼い頃に教わったことがあった。だが、貴族社会を嫌煙するネリウスにはむしろ刺激的な行動だった。

「お前は……無意識でそういうことするのが怖いな」

「…………?」

「俺以外にそういうことしたら駄目だぞ」

 怒ってはいない、と意思表示するとエルは安心したようだ。

 ネリウスはもう一度仰向けになって目を瞑った。

「どうせするならこっちにして欲しかったな」

 横目でチラリとエルを見た。どういうことか分からないのか、エルは難しそうな顔でネリウスを見ている。

 自分からして拒絶されるのはやっぱり怖い。紳士的じゃないと分かっていたがエルからキスしてくれるのを待った。

 エルは綺麗な唇を横に引いて、目を瞑るネリウスの顔に近づいた。既に顔が真っ赤だ。これはなにをするのかちゃんと分かっている顔だ。

 長い髪の毛が頬にかかる。近付く頬にそっと手を添えると、エルの柔らかい唇がネリウスの唇と重なる。

 慣れないキスを一生懸命にしているのだろう。唇の動きがおぼつかない。だがそこがまた可愛い。

 エル自らから触れてもらえたことが嬉しくてずっとそのままでいたい気分だったが、それだとエルが可哀想だ。

 唇の柔らかさを確かめるようにそっと触れると、一瞬ビクンとエルが驚いた。だが、すぐにエルもそれに合わせて動いた。

 ただ軽くキスをしているだけなのに、どうしてこんなに胸が高鳴るのだろうか。お互いの頬に触れる指が、吐息が、何もかもが、余計にその行為をかき立てていた。

 もっと激しくしたい、もっと触れて欲しい────。

 そんなことを考えたが、今はそんな勇気はなかった。ただ、ずっと触れていたかった。

 お互いからしばらく離れられずにいた。

 名残惜しそうにリップ音を立ててお互いの唇が離れていく。

 しばらく見つめ合ったまま二人は佇んだ。お互いの目を渇望するような瞳で見つめ、言葉にならない願いを伝えていた。

 届く距離にいて、歯止めをかけてそれ以上踏み込まないようにした。

 やがてエルはネリウスの胸に体を預けた。

 まだ恥ずかしいのか、顔を埋めるようにネリウスの胸に体をくっつける。ネリウスはどうしようもなく愛しくなってその身体を力強く抱きしめた。

 拒絶されるかもなんて考える隙もなかった。

 ただ、すぐに触れたい。エルをこの中に閉じ込めておきたくなる。またキスしてしまいそうでその衝動を抑えるので必死だった。
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