無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
第13話 求めよ、されば与えれられん
 パーティーの日はあっという間に訪れた。

 その夜、ベッカー家の屋敷には今まで見たことがないくらいの馬車と、人が詰めかけた。数少ない従者達はひっきりなしにその対応に追われていて、ミラルカもエルの部屋に来られないほどだ。

 そのためエルの準備はルーシーに頼んで、部屋で着付けと化粧をしてもらうことになった。

「今回もバッチリです! 我ながら最高の出来ですね」

『素敵なドレスをありがとうございます』

「もったいないお言葉です。作る機会を頂いているのですから当然のことです。それに、今回はエル様の特別な日ですから」

 そう。今日はやっと、あのダンスホールでネリウスと踊れるのだ。練習ではない。ちゃんと本番で。それを思うと、楽しみで眠れなかった。

 今日は一日ネリウスがエスコートしてくれる約束だ。エルは喋れないし、他の男性の相手をさせるつもりは毛頭ないのだろう。

 準備を終えて待っていると扉がノックされた。ネリウスが迎えに来たのだろう。エルは上機嫌で扉を開けた。

「用意できたのか」

 正装したネリウスを久しぶりに見て、エルは頬が上気するのを感じた。

 自覚はあるのか分からないが、ネリウスは本当に魅力的だ。きっと今夜も訪れた女性達の視線を釘付けするに違いない。

 そんなことを考えていると、ネリウスはエルの手の甲を持ち上げて軽くキスした。

「こんな綺麗なお前を……他の男から隠しておけないのは残念だ。誰の目にも触れさせたくない」

 そう言われると、顔どころか身体自体が熱くなってきそうだ。熱のこもった瞳で見つめられて、エルは戸惑った。

 そんな様子を見てクスッと笑うと、ネリウスは手を差し出した。

「行くぞ。今日はやっとあそこで踊れる」

 エルは嬉しそうにネリウスの手を取って、会場へ向かった。



 道中、招待した客の何組かに挨拶をされた。

 丁寧に返事をするネリウスを見て、エルは改めてネリウスが身分の高い人なのだと感じた。

 仮にも侯爵家だ。いくらネリウスが人嫌いとはいえ、呼べば人は集まるのだろう。普段はネリウスに辛い評価のミラルカも、仕事ぶりに関しては高く評価していた。

 二人で挨拶に回っていると、そこへ一人の男性が話し掛けてきた。フォーミュラー公爵と名乗った男はネリウスの知人のようだ。他の招待客よりも親しげに話しているが、ネリウスの交友関係など分かるはずもなく、エルはそばで立って聞いていた。

「お父様」

 一人の女性がフォーミュラー公爵に近付いた。漆黒の艶やかな黒髪が印象的な、知的な大人の雰囲気を持った女性だ。

「アレクシア。お前も久しぶりだろう。挨拶しなさい」

「ごきげんようネリウス。本当に久しぶりね。元気そうでなによりよ」

「ああ、お前も元気そうだな」

「相変わらず、ぶっきらぼうな所は変わらないのね」

 アレクシア、と呼ばれた女性は赤い唇を緩やかに上げて微笑んだ。

 アレクシアもネリウスの知り合いだろうか。名前呼びするところを見ると、仲がいいのかもしれない。

「この方は?」

 アレクシアがエルの方を見て尋ねた。

「……エメラルドだ。知り合いから預かっている。喉の病気を患っててな」

「そうなの、お気の毒に……。私はアレクシア・ド・フォーミュラーと申します。ネリウスとは幼馴染みたいなものですわ」

 アレクシアはハキハキと答えた。嫌なところがない、さっぱりとした女性のようだ。

 だが、エルはなんとなくもやもやした。アレクシアが「ネリウス」と呼ぶことや、ネリウスが自分のことをそういうふうに紹介すること。

 二人が幼馴染なら名前で呼び合う仲なのも納得出来る。けれどそこには踏み込めない壁があるように思えた。

 それに仕方がないこととはいえ、やはり他人に自分を恋人だなんて紹介できないのだろう。

 ここに招待されている人々は恐らくネリウスと同じくらいの、もしくは多少上下があっても貴族が中心のはずだ。

 それなのに、自分のようなどこの馬の骨ともしれない女を恋人だなんて言えるはずがない。分かっていたことだ────。

「ネリウス、折角来たのだからエスコートしてくれるでしょう? ダンスのお相手、お願いできるかしら?」

 アレクシアに言われて、ネリウスはチラリとエルをみた。確認するように思案顔で見つめられて、とっさにエルはニッコリと笑って頷いた。

 ネリウスはアレクシアの手を取って行ってしまった。
< 59 / 79 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop