無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
 エルを拾った時はそこまで深く考えていなかった。

 やがてエルが辛い生活から逃げ出し、声を失ったことを知るとどうしても助けてやりたくなった。

 怯える目の奥に意志の強さを感じた。それはいつも社交界で見る女達の目とは違う。ハッキリとした自我を持った女の目だった。

 知れば知るほどエルは他の女とは違った。取り繕うことを知らなくて、純粋で、いつも素直に言葉を紡ぐ。何年も暴力と陵辱に耐えて来たようには思えないほど汚れのない心を持っていた。

 女なんて興味もない。うるさいし、くだらないお喋りが好きで、お世辞を期待して媚びを売るだけのつまらない存在だ。

 それなのにエルはそんなところが一つもなくて、こんなに無口で不器用な自分に対しても、変わらず優しかった。本当の自分を見ようとしてくれていた。

 恐らくエルに出会わなければ気が付かなかっただろう。変わろうとも思わなかったに違いない。

 本当の自分なんていらない。いない。長らくそう思っていたし、そうだった。大事なのは家柄、地位、財力、見た目。形あるものばかりだ。

 それをなくしたらきっと、ここでは生きていけない。

 けれど誰も、そんなことを気にもしない。誰にとっても本当の自分なんてどうでもいいものなのだろう、そう思いかけていたのに。

 エルといると取り繕わなくても自分を見てくれる。そう思わせてくれた。気がついたらエルを求めるようになっていた。

 辛いこともあったが、エルが愛してくれたことは本当に幸せなことだった。

 エルには家柄や地位や財力はないが、もっと大切なものをたくさん持っていた。

 凍てついた心を溶かしてくれた優しさや全てを包み込んでくれる温かい心。エルは喋れないからこそ、いつも伝えようとしてくれていた。

 そんな女を知った後で今更誰かと添い遂げたいなどとは思えない。エルがいればそれでいい。アレクシアが嫌なわけではないが、今は選びたい人がいた。

「アレクシア、俺は結婚はしない。公爵にもそう伝えてくれ」

「ネリウス……でも、そんなことしたら、あなた……」

「仮にこちらの事業に問題が出てもなんとかする。そんなこと大したことじゃない」

「そんなに頑なになるのは、あの子がいるから?」

「…………」

「ずっとあの子のこと見てたわよね? パーティーの時も、ダンスしてる最中も……ほんと、失礼なパートナーだわ」

「悪かった」

「そうだと言ってくれればあんなところで誘わなかったのに。彼女は……知ってるの?」

「ちゃんと、お互いに思ってる」

「……あなたの気持ちを優先してあげたいけど、父が黙っているとは思えないわ。断ったら何をされるか……」

「それでも俺は、もう人形みたいになるのはゴメンだ。結婚相手は自分で選ぶ」

「ネリウス…………」

 アレクシアの哀れんだ眼差しも、自分がこの先どうなるかもどうでもよかった。

 今の自分には意志がある。だから、もう二度と……エルを離したくない。二度と彼女を悲しませたくない。たとえどんなことがあったとしても。
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