わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)
美味しいお酒も頂きながら橘部長と色んな話をしていると、この人は表情筋を使ってないだけなんだなと思った。情緒が無いわけではないらしい。しかし、親は心配しなかったのかな。不器用なんだろう。三十六歳らしいが、よくこれまで人間社会で生きてこれたもんだ。
「専攻がインド古典学だそうだが、具体的には何の研究?」
「愛です」
「愛……」
そう呟いている橘部長は、やっぱり無表情。
「その研究に意味があるのか?」
「バカにしないでください。古典学の研究に橘部長の求める意味なんかないです。特に私は純粋な学術的興味で研究してますし。愛は要素のひとつです。古代インド思想ではトリヴァルガ、三つの目的、つまり、愛と実利と法をバランスよく求めるのが良い人生なんですよ」
『愛、性愛』『実利、権力』『法、道徳』の三つ。
サンスクリット語でそれぞれ、カーマ・アルタ・ダルマ。その三つを人生の目的とする。
物凄く雑に説明すると、えっちなことして子孫を残し、仕事して金を稼いでルールを守って生きようね! だ。ざ、雑すぎて教授に怒られませんように……。
「……そうか。三つ必要なのか」
「未婚彼女無しの橘部長には愛が足りないですね! 残念! 残念男子~!」
あははと笑っても、橘部長は無表情。
今の私、かなり無礼者でしたよ?
しまった、すべった、と思っていたら目を伏せた橘部長が淡々と言う。
「……なら、君が私にくれないか?」
「何をですか?」
「愛」
この人今なんて言った? 愛? 私が? 足りない愛を与えるの?
「……いいですよ」
突然の口説き文句だったのに、私はあっさり承諾した。自分でもよくわからなかった。
この人に足りないものを私が補えるのならそうしたいと思った。