わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)
「役員専用! 他は混み合ってるのに、ここは二人しか乗ってないなんて勿体ない。開放しちゃえば良いのに」
しまった、と無意識に口を手で塞いだが遅かった。心の声が駄々漏れしてしまった。目の前の男性は凄むように「どこの大学かな?」ともう一度問いかけてくる。
大学名と名前を言ったら落とされるに違いない。ヤバイ。もう今後、うちの大学からはこの会社に採用されないかもしれない。後輩達に迷惑をかけてしまう。就職支援室の先生達にお説教され、謝罪に行かされるに違いない。ヤバイ。
適当に言って誤魔化したら、あとでバレた時にもっと酷いことになるだろう。
多分、ひえええと怯えた顔をしてるであろう私の肩を掴み、その男性は私を睨み続けていた。
「それくらいにしておけ、杉岡。間違いは誰にでもあるだろう。それに、役員専用エレベーターは要らないという意見には、私も賛成だ」
そう言ったのは、奥に立っていたもう一人の男性。びっくりするほど綺麗な顔をした人だった。
整った眉の下にある切れ長の眼、長い睫毛。鼻梁も輪郭も綺麗だが男らしさもある。もう三十代も半ばだろう。高級そうな細身のスリーピースが良く似合っている。
しかし、その人は無表情だった。「ねえおじさん、生きてる?」と聞きたくなるくらい無表情だった。
ただ、芸術工藝品のような容貌は紛れもなく美しかったので(はぁ、東京は都会じゃけえ、こがな綺麗な人もおるんじゃろうなぁ~)と田舎者は見惚れていた。外見が私の好みにドストライクだったので、眼福眼福と思いながらその人を見つめた。
全く表情の読めない目で見つめ返されて、ちょっとドキドキした。淡々とした声でその人が言った。
「十二階で降りるんだろう? いいから行きなさい」
閉ボタンを左手で、十二のボタンを右手で同時にシュッと押して遊んでいたのを見られてたな、きっと。
「しかし、部長……」
「杉岡はさがりなさい」
そう言われて、スギオカと呼ばれた男性は横に退き、その綺麗な、でも無表情な人が近づいてくる。逃げていいなら、逃げよう。名前も大学名も絶対に言いたくない!
「ありがとうございます!」
そう叫んで踵を返した。
十二階で扉が開き、出ようとしたらクイッっと髪を引っ張られた。
「え?」と思っていると、やっぱり引っ張られている。
「行きなさい」と言っといて、おろしてくれないの? と思って振り返ろうとしたら後頭部に刺すような痛み。
「痛っ! 何ですか? 何?」
恐怖で若干パニックになりつつあった私の耳に困ったような声が聞こえてきた。
「彼女の髪が、私のスーツに」
「……ああ、部長のボタンにひっかかってますね」