わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)

 家から大学まではいつも自転車で通っている。私は、史上最速で自転車を漕いだ。うちは晴明神社のすぐ近くで、築年数が経っているから外装は古い。家賃も安い。でも中は改築してあるから内装は綺麗で、大家さんも優しくて、かなりの優良物件だった。

 急いで帰ったからなのか、橘部長の姿はなかった。駐輪場に自転車を置き、窓を開けて換気しながらお茶の準備をしていると呼び鈴が鳴った。

「いらっしゃいませ……」

 呼んでないのに、何故いらっしゃいませと言わなきゃならないんだと思いつつ、私は橘部長を部屋に招き入れた。

 アパートの一階で、通りに面しているから陽当たりは悪くない。アルバイトに行ってるか、研究室に入り浸ってるかのどちらかだから、ほとんど、帰って寝るだけの部屋。ベッドとテレビと小さい本棚だけでいっぱいの、狭いワンルーム。物が少ないから散らかることもない。友人を招いたこともない。
 初めての来客が橘部長だなんて、変なの。

 ローテーブルに紅茶を出して向かいに座る。テーブルの上には私のスマホが置いてあった。
 良かった。取り上げられたままかと思った。私は端末の電源を入れながら橘部長に話しかけた。

「橘部長、楽しいですか? なんかうれしそうな気が……」
(たの)しい。君の匂いがする」
「え、なんですかそれ。こわ」
「桜の薫り」
「ああ! もしかしてこれかな?」

 アルバイト仲間から、誕生日に貰った桜のお香。他に練り香水も桜をくれた。理由は単純で私の名前が「桜」だから。春になるとやたらと桜餅も貰う。
 テレビ台にしているラックの下段に置いてあるお香を焚こうかなと橘部長に近づいたら、急に腕を掴まれた。

「うひゃあ、何ですか?」
「二人きりになったんだから、何かすることないか?」
「は? 何言って……」

 急に心臓がバクバクしてくる。何これ、何このシチュエーション。熱を感じるくらい、体の距離が近い。

「顔が真っ赤だが、血管大丈夫か? 切れないか?」
「え、やだ! 見ないでください」
「いや、可愛い」

 そう言って橘部長は私の頬を撫でてキスしてきた。
 これは恋人同士のキスだ。新幹線の中でされたような、奸濫な舌使いで私を翻弄していく。自分の体が変、熱っぽくて心臓が早い。
 そのドキドキしている私の胸に、橘部長の指が触れる。腿に掌が触れる。腰に手を回されて抱き寄せられ、首筋にキスされた。
 もうとっくに一線越えているのに、今更恥ずかしい。

「待って! さっき自転車爆速で漕いだから汗かいてます! 離してください!」
「構わない。むしろこのままの方が」
「うわ! 変態発言! はーなーしーてー!」

 拘束しようとする腕から逃げ出したけど、橘部長は後ろから私の体をひょいと抱えた。痩せっぽちの私は軽いんだろう。いとも簡単にベッドに放り出されて、心臓が壊れそうな位に早くなってきた。
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