夏恋
「神様、お願いです」
「あの人を早く忘れさせて下さい」
日曜日の午前十時過ぎ。朝の礼拝が終わってざわつく教会の中で、いつまでも席から離れず手を組み、その上に額をつけて祈る一人の少女の姿があった。
年の頃は十五歳位。
信者の娘か、それとも未信者で朝の礼拝に興味があり参加したのかは分からない。しかし、礼拝後もこうして祈りを捧げるからには信者なのであろう。
未信者の人が教会に来るのは、長崎のように観光地となっている教会かクリスマスのミサに興味本位で覗くカップル、もしくはカトリック信者になろうとしている者のどれかである。
少女は祈り終えたのか顔を上げると、ぴょこんと跳ねるように席から立ち上がると、ぺこんと頭を下げて出口へと向かった。出口で聖水を指につけ十字をきると重い扉を開け外に出た。
教会の外はとても眩しかった。雲一つない空に太陽が陣取り、これでもかと言うくらいに少女を照りつける。少女はそんな太陽に手を翳し日を遮ると、片手で伸びをした。その少女の姿を見ていた神父とシスターがくすりと微笑み、また来週と声を掛けた。
「あっつーい!!」
八月最初の日曜日、学生達は夏休みである。中学三年生にとっては部活も引退し、受験勉強に忙しくなる時期で、少女の友達のほとんどは塾に行っており暇なのである。だから、中学生になってからサボりがちであった教会へと顔を出した。
また、少女の住む地域はカトリック信者が多く、町内に二箇所もカトリックの教会がある。もう一つの方は重要文化財か何かに指定され、観光客も時々来るが、少女の通う方の教会は特にそういうことも無く長閑である。
まぁ、そんな説明はいいとして、少女は自転車に跨り颯爽と走っている。早くクーラーの効いた部屋で涼しみたいのだ。
家に着くとカーポートの中へ自転車を停め、急いで自分の部屋へと入りクーラーのスイッチを入れた。今年は受験生だからと親が少女の部屋にエアコンをつけてくれたのだ。
むわんとした部屋は中々涼しくならない。しょうがないので涼しくなるまでポロシャツを脱ぎ、キャミソール姿となったが、それでもスカートがまとわりつく。少女はスカートまで脱ぎキャミソールとパンツだけになった。そして、勉強机の椅子の上で胡座をかき、夏休みの課題を開く。ほとんど進んでいない。
頭を書きながら、時には窓の外を眺めながらと集中力に欠けてはいたが、なんとか今日までの分を終わらすと、疲れたぁとベッドへ横になった。
夏休みの初め、少女は中体連の試合に付き合っていた彼の応援に行った。
そしたらそこには少女と別のクラスの女子とべったりひっついている彼の姿を見た。噂は聞いていた。彼に別のクラスの女子が猛アタックしていると。でも彼を信じていた。中学一年の頃から付き合っていた彼を。
でも、現実はそう甘くはなかった。キスまでしか許さなかった少女に思春期の彼は少し不満があったらしく、別の女子からの猛アタックに心が揺らいだのだ。そして、噂ではその日にキスまでしたとかしなかったとか……
それから何日か後に彼から別れのメッセージが届いた。少女は不思議とそんなに悲しくなかった。でも二年とちょっと付き合った彼の事をすぐに忘れられなかった。
ベッドに横になったまま両腕で顔を覆いはぁっと大きなため息をつく。泣きはしない。別れ話から一度も泣いてはいない。
どすんとベッド脇に置いてある人形に八つ当たりをするように叩くと、上半身を起こし、ぼやっと窓の外に目をやった。
「早く新しい恋しなくちゃなぁ」
ぽつりと呟くように少女はそう言うと、スカートとTシャツを着て急いで出掛ける準備を始めた。暑いけどぷらっと公園にでも散歩に出掛けよう、そう思ったのだ。
普通ならこんな炎天下の中に散歩に出掛けようとは思わない。ただ、少女は部屋の中にいるとうじうじと考えてしまうと思ったからである。
大きな麦わら帽子を被り日焼け止めを塗って準備完了。おっと、お財布も忘れないように。黒猫の絵が描かれているサコッシュに財布とハンカチなどをいれ近所の大きな公園へと向かった。
公園は昔この一帯を治めていた武将の銅像があり、敷地を横切る様に人口の小川が作られている。その小川を境に、小さな子供が遊ぶ遊具が沢山ある場所と芝生だけの広場とで分かれている。そしてそれを囲むように遊歩道と少し高台に東屋が二軒。
少女は公園内にある自販機でお気に入りの乳酸菌系の炭酸飲料を買うと、日陰になっている東屋へと向かった。東屋の中は日陰で、だいぶ涼しく感じる。
真夏のこの時間帯の公園は遊んでいる子供達もおらず、公園を流れている小川に虫取り網を入れて何かを取ろうとしている小学生の男子が数人いるくらいで、あとはこれでもかと言うくらいに己の存在をアピールしてくる蝉の鳴き声が五月蝿いだけだった。
ぷしゅっ
少女は炭酸飲料の蓋を開ける時のこの音が大好きであった。にんまりとした顔で蓋を開け、ごくりと多めの一口を流し込む。しかし、それがいけなかった。多めに流し込んだ事で変なところに入り吹き出してしまったのである。
「はははっ!!」
げふんごほんとむせていると、突然、笑い声が聞こえてきた。明らかに自分に向けての笑い声だと少女は思った。ハンカチで口の周りを拭きながら辺りを見回すと、東屋の入口付近に真っ黒に日焼けした同級生の男子が立っていた。
確か野球部の……少女は顔に見覚えはあったが名前が出てこない。誰だっけ?少女のそんな視線に頬を掻きながら苦笑いを浮かべている男子が少女へ話しかけた。
「一年の時に同じクラスだった吉川だよ。吉川晃一」
あっという顔をした少女へ、久しぶりと声を掛ける吉川に、バツの悪そうな顔をした少女もそうね、久しぶりだねと返した。
吉川は東屋へと入って来たが、ベンチへは座らずに少女と離れた場所で立っている。少女に遠慮しているようである。少女はそんな吉川にくすりと笑うとベンチに座るように勧めた。
「こんなとこで男子と二人きりでいると彼氏に勘違いされるぞ」
少し距離を置いて座った吉川が少女へそう言った。彼なりに気を使ったようである。しかし、吉川は少女がすでに彼氏と別れた事を知らなかった。
「別れたよ」
少しうつむき加減で返す少女に、慌てた様子で謝る吉川。しかし、少女はそんな吉川を見てケラケラと笑いながら、もう気にしてないからと言った。
「そっか……」
二人の間に気まずい空気が流れた。何故かもじもじと落ち着かない吉川が気になる少女はつい吹き出してしまった。
「え、なに?」
「だって、ずっとそわそわしてて落ち着かないんだもん」
「そっかなぁ……」
「そうだよ」
お互いに顔を見合わせて笑う二人。だいぶ打ち解けたのか色んな話しでしばらく盛り上がった。そして、吉川がちらちと腕時計を見ると慌てた様子で、そろそろ帰らなくちゃとベンチから立ちあがり、少女へ一言、またなと言った。
「ありがとう。おかげで気が晴れたわ」
にこりと嬉しそうに微笑み少女が言うと吉川もにかっと笑い返した。
「いいよ、声を掛けてくれれば、またいつでも話し聞くからさ」
「うん」
「それとさ……雪乃って、やっぱ笑ってた方が可愛いよ」
そう言った吉川は照れて真っ赤になった顔を少女から逸らした。そして、もう一度じゃあなと言うと大きく手を振りながら帰っていった。
雪乃も手を振り返し、吉川の背中が小さくなるまで眺めていた。そしてふふふっと笑うと、なんだかとてもふわふわした気持ちになり、うぅんと背伸びをしてジュースを一口飲んだ。すっかりぬるくなってしまったジュースに顔をしかめると、さぁ帰ろっとベンチから離れた。
東屋から出ると太陽はさらに天高く昇っており、日差しがとても眩しく感じる。
それでも、雪乃はふわっとした気持ちで心が一杯だったこともあり、炎天下の中を来る時よりも軽い足取りで家へと帰っていった。
「あの人を早く忘れさせて下さい」
日曜日の午前十時過ぎ。朝の礼拝が終わってざわつく教会の中で、いつまでも席から離れず手を組み、その上に額をつけて祈る一人の少女の姿があった。
年の頃は十五歳位。
信者の娘か、それとも未信者で朝の礼拝に興味があり参加したのかは分からない。しかし、礼拝後もこうして祈りを捧げるからには信者なのであろう。
未信者の人が教会に来るのは、長崎のように観光地となっている教会かクリスマスのミサに興味本位で覗くカップル、もしくはカトリック信者になろうとしている者のどれかである。
少女は祈り終えたのか顔を上げると、ぴょこんと跳ねるように席から立ち上がると、ぺこんと頭を下げて出口へと向かった。出口で聖水を指につけ十字をきると重い扉を開け外に出た。
教会の外はとても眩しかった。雲一つない空に太陽が陣取り、これでもかと言うくらいに少女を照りつける。少女はそんな太陽に手を翳し日を遮ると、片手で伸びをした。その少女の姿を見ていた神父とシスターがくすりと微笑み、また来週と声を掛けた。
「あっつーい!!」
八月最初の日曜日、学生達は夏休みである。中学三年生にとっては部活も引退し、受験勉強に忙しくなる時期で、少女の友達のほとんどは塾に行っており暇なのである。だから、中学生になってからサボりがちであった教会へと顔を出した。
また、少女の住む地域はカトリック信者が多く、町内に二箇所もカトリックの教会がある。もう一つの方は重要文化財か何かに指定され、観光客も時々来るが、少女の通う方の教会は特にそういうことも無く長閑である。
まぁ、そんな説明はいいとして、少女は自転車に跨り颯爽と走っている。早くクーラーの効いた部屋で涼しみたいのだ。
家に着くとカーポートの中へ自転車を停め、急いで自分の部屋へと入りクーラーのスイッチを入れた。今年は受験生だからと親が少女の部屋にエアコンをつけてくれたのだ。
むわんとした部屋は中々涼しくならない。しょうがないので涼しくなるまでポロシャツを脱ぎ、キャミソール姿となったが、それでもスカートがまとわりつく。少女はスカートまで脱ぎキャミソールとパンツだけになった。そして、勉強机の椅子の上で胡座をかき、夏休みの課題を開く。ほとんど進んでいない。
頭を書きながら、時には窓の外を眺めながらと集中力に欠けてはいたが、なんとか今日までの分を終わらすと、疲れたぁとベッドへ横になった。
夏休みの初め、少女は中体連の試合に付き合っていた彼の応援に行った。
そしたらそこには少女と別のクラスの女子とべったりひっついている彼の姿を見た。噂は聞いていた。彼に別のクラスの女子が猛アタックしていると。でも彼を信じていた。中学一年の頃から付き合っていた彼を。
でも、現実はそう甘くはなかった。キスまでしか許さなかった少女に思春期の彼は少し不満があったらしく、別の女子からの猛アタックに心が揺らいだのだ。そして、噂ではその日にキスまでしたとかしなかったとか……
それから何日か後に彼から別れのメッセージが届いた。少女は不思議とそんなに悲しくなかった。でも二年とちょっと付き合った彼の事をすぐに忘れられなかった。
ベッドに横になったまま両腕で顔を覆いはぁっと大きなため息をつく。泣きはしない。別れ話から一度も泣いてはいない。
どすんとベッド脇に置いてある人形に八つ当たりをするように叩くと、上半身を起こし、ぼやっと窓の外に目をやった。
「早く新しい恋しなくちゃなぁ」
ぽつりと呟くように少女はそう言うと、スカートとTシャツを着て急いで出掛ける準備を始めた。暑いけどぷらっと公園にでも散歩に出掛けよう、そう思ったのだ。
普通ならこんな炎天下の中に散歩に出掛けようとは思わない。ただ、少女は部屋の中にいるとうじうじと考えてしまうと思ったからである。
大きな麦わら帽子を被り日焼け止めを塗って準備完了。おっと、お財布も忘れないように。黒猫の絵が描かれているサコッシュに財布とハンカチなどをいれ近所の大きな公園へと向かった。
公園は昔この一帯を治めていた武将の銅像があり、敷地を横切る様に人口の小川が作られている。その小川を境に、小さな子供が遊ぶ遊具が沢山ある場所と芝生だけの広場とで分かれている。そしてそれを囲むように遊歩道と少し高台に東屋が二軒。
少女は公園内にある自販機でお気に入りの乳酸菌系の炭酸飲料を買うと、日陰になっている東屋へと向かった。東屋の中は日陰で、だいぶ涼しく感じる。
真夏のこの時間帯の公園は遊んでいる子供達もおらず、公園を流れている小川に虫取り網を入れて何かを取ろうとしている小学生の男子が数人いるくらいで、あとはこれでもかと言うくらいに己の存在をアピールしてくる蝉の鳴き声が五月蝿いだけだった。
ぷしゅっ
少女は炭酸飲料の蓋を開ける時のこの音が大好きであった。にんまりとした顔で蓋を開け、ごくりと多めの一口を流し込む。しかし、それがいけなかった。多めに流し込んだ事で変なところに入り吹き出してしまったのである。
「はははっ!!」
げふんごほんとむせていると、突然、笑い声が聞こえてきた。明らかに自分に向けての笑い声だと少女は思った。ハンカチで口の周りを拭きながら辺りを見回すと、東屋の入口付近に真っ黒に日焼けした同級生の男子が立っていた。
確か野球部の……少女は顔に見覚えはあったが名前が出てこない。誰だっけ?少女のそんな視線に頬を掻きながら苦笑いを浮かべている男子が少女へ話しかけた。
「一年の時に同じクラスだった吉川だよ。吉川晃一」
あっという顔をした少女へ、久しぶりと声を掛ける吉川に、バツの悪そうな顔をした少女もそうね、久しぶりだねと返した。
吉川は東屋へと入って来たが、ベンチへは座らずに少女と離れた場所で立っている。少女に遠慮しているようである。少女はそんな吉川にくすりと笑うとベンチに座るように勧めた。
「こんなとこで男子と二人きりでいると彼氏に勘違いされるぞ」
少し距離を置いて座った吉川が少女へそう言った。彼なりに気を使ったようである。しかし、吉川は少女がすでに彼氏と別れた事を知らなかった。
「別れたよ」
少しうつむき加減で返す少女に、慌てた様子で謝る吉川。しかし、少女はそんな吉川を見てケラケラと笑いながら、もう気にしてないからと言った。
「そっか……」
二人の間に気まずい空気が流れた。何故かもじもじと落ち着かない吉川が気になる少女はつい吹き出してしまった。
「え、なに?」
「だって、ずっとそわそわしてて落ち着かないんだもん」
「そっかなぁ……」
「そうだよ」
お互いに顔を見合わせて笑う二人。だいぶ打ち解けたのか色んな話しでしばらく盛り上がった。そして、吉川がちらちと腕時計を見ると慌てた様子で、そろそろ帰らなくちゃとベンチから立ちあがり、少女へ一言、またなと言った。
「ありがとう。おかげで気が晴れたわ」
にこりと嬉しそうに微笑み少女が言うと吉川もにかっと笑い返した。
「いいよ、声を掛けてくれれば、またいつでも話し聞くからさ」
「うん」
「それとさ……雪乃って、やっぱ笑ってた方が可愛いよ」
そう言った吉川は照れて真っ赤になった顔を少女から逸らした。そして、もう一度じゃあなと言うと大きく手を振りながら帰っていった。
雪乃も手を振り返し、吉川の背中が小さくなるまで眺めていた。そしてふふふっと笑うと、なんだかとてもふわふわした気持ちになり、うぅんと背伸びをしてジュースを一口飲んだ。すっかりぬるくなってしまったジュースに顔をしかめると、さぁ帰ろっとベンチから離れた。
東屋から出ると太陽はさらに天高く昇っており、日差しがとても眩しく感じる。
それでも、雪乃はふわっとした気持ちで心が一杯だったこともあり、炎天下の中を来る時よりも軽い足取りで家へと帰っていった。