神殺しのクロノスタシスⅢ
一同が、ナジュの目に釘付けになった。

皆呆然として(令月だけは、顔色を変えずぽやんとしてたが)、目の前の現実が本当に現実なのかを考えていた。

しかし、何度考えても、何度見直しても、それは紛れもなく現実だった。

この一ヶ月半、ずっと固く閉じられていた、ナジュの瞼が開き。

焦点の合わない目で、虚空を見上げていた。

「あっ…え…」

ずっと待ち焦がれていた瞬間のはずなのに。

あまりにも突然のことで、何を言って良いのか分からなかった。

…夢、じゃないんだよな?

「な…ナジュ、おま、」

「ほらぁぁぁぁ!?ナジュ君紅茶派だったんだね!?そうとは知らずごめんね!紅茶クッキーあげるからほら!やっぱりお菓子は世界をすく、」

「黙りなさい腐れ学院長!」

「ぐはぁっ!」

目を覚ましたばかりのナジュに、怒涛のように畳み掛ける馬鹿シルナを。

イレースが、渾身の腹パンで黙らせた。

偉い。よくやってくれた。

幻覚魔法が功を奏したのか、元暗殺者組の毒薬に怯えたのか、それとも本当に、シルナの紅茶クッキーの匂いに釣られたのか。

あるいは、他に何か理由があるのか、本当は何の理由もなくて、単なる偶然に過ぎないのか。 

そんなもの、どうでも良い。

大切なのは、今この瞬間、目の前の事実だけだ。
 
「ナジュ…だよな?」

本当に…目を、覚ましたんだよな?  

…あ。

リリスか?それともリリスが、またナジュの身体を使って…。

「…分かる?聞こえる?」

天音が、慎重に、そっとナジュに語りかけた。
 
「これは見える?何本か分かる?」

天音はナジュの前に、指を三本立てて見せた。

すると、ナジュの瞳が動き。

ゆっくりと口元が動き、何かを話そうとしたが。

「…っ、か、ふ…っ…」

長いこと眠り続け、全く使っていなかった彼の声帯は、上手く言葉を発せなかった。
 
苦しそうに顔を歪めるばかりで、嗚咽のような声しか出ない。

「分かった。無理して喋らないで良い。僕の声は聞こえる?」

「…」

「聞こえてるなら、二回、ゆっくり瞬きしてくれる?出来る?」

天音が再度、そう問い掛けると。
 
ナジュは無言のまま、ゆっくりと億劫そうに、二度、瞬きした。

…良かった。

こちらの声は聞こえてる。

「ありがとう。じゃあ…」

天音が次の指示を出そうとすると。

「う…くっ…」

ナジュは顔を歪め、手のひらをシーツに押し付けて、起き上がろうとした。

この馬鹿、何を。

「まだ動いちゃ駄目だよ!」

慌てて天音が止めるも、ナジュは懸命に上体を起こそうともがいていた。

しかし、一ヶ月半も寝たきりで、筋力も体力も衰えた身体。

自力で起き上がるなんて、無理な話だ。

それでもナジュは、俺達の制止も聞かず、必死に起き上がろうとしていた。

「…」

手を差し出したのは、令月だった。

令月は、ナジュを寝かせるのではなく、起き上がろうとするのを手伝った。

「令月、お前…」

「起きたいなら、起きたら良いよ。嫌々寝てることなんてない」

…お前って奴は。

止めた方が良いのだろうが、しかし、誰も止めなかった。
  
天音でさえ、口を挟もうとして、でも黙り込んだ。

目を覚ましたのも、身を起こしたいと思ったのも、それはナジュの意思だから。

止めてはいけないと思った。

代わりに、俺は反対側からナジュの身体を支え、令月と二人で、彼の上半身をベッドの上に起こした。

それだけでも、随分体力を使ったらしく。

ナジュは、大層疲れた顔をしていた。

でも、目は開けていた。

目を覚ましていた。
 
それ以上に、大事なことはない。
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