Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
指の腹で鍵盤をポーン、と鳴らして、手始めに分厚いハノンの練習曲集でウォーミングアップ。呪縛のようにつづく淡々とした反復運動は子どもの頃は苦手だったけれど、いま思えばハノンの曲集でスケールやアルペジオの大切さを学んだ気がする。一番から六十番まで通しで一時間以上かかるが、最後まで弾ききる際のカデンツ、ピアニッシモのまま消え入るペルデンドシの指示が爽快で、弾きはじめると止まらない呪縛のような魅力がある。
その後、取り出した別の楽譜で選んだのは、今日の晴れ間によく合いそうなラヴェル――水の戯れ。
ホ長調四分の四拍子、楽譜の冒頭に掲げられた題辞“水にくすぐられて笑う河の神様”を思い浮かべて、わたしはきわめてやさしく、一定のリズムとテンポを保ちながら奏でていく。
わたしが学生の頃からすきな、超絶技巧と叙情的な一面を持つ、古典的でありながらひとを惹きつけてやまないソナタ形式の曲。
「周りで水の精霊が飛び跳ねているみたいだな」
「アキフミ……起きた?」
「ああ。素敵な目覚ましをありがとう」
背後から抱きしめられてピアノの演奏を止められたわたしは、そのまま彼に顔を近づけられてキスをする。鍵盤に身体を押しつけられながらのキスが、不協和音に彩られる。
「ちょ、どうしたの」