Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

 詩の妹の詞がネメに向けて「逃げてもいい」と合図を送っていたのには気づいていた。もしかしたらネメをその場から逃がすことで、俺と詩の痴話喧嘩にしてしまおうとでも考えたのかもしれない。姉と比べて妹の方がまだまともに見えるな、と思ったのはここだけの話だ。

「逃げなかったのは偉いが……身体が震えているのは気のせいか?」
「だ、だいじょうぶ、だから」
「……そうは見えないぞ」
「それより――ピアノ、弾きたい」

 その、ネメらしい言葉に思わずぷっと吹き出してしまう。
 嫌なことがあったら、ピアノを弾いてストレス発散すると、高校の時に言っていた気がする。
 きっと今は、俺の言葉よりも物言わぬピアノの前で、無心になって指を動かしたい気分なのだろう。

「わかった。大急ぎで屋敷に戻ろう」

 俺の買い物は終わっているし、もうひとつの方は別の日でも構わないだろう。
 彼女が選んでくれたピンクのネクタイで、俺は彼女との婚約を発表するつもりだ。

 その前に、義父に彼女を認めさせたり、須磨寺の遺言書を探し出すのが先だが――……

「玄関のグランドピアノで、思いっきり弾けばいい」

 まずは愛する彼女に、ピアノを弾かせるのが先だ。
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