Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
「――じゃあ。久しぶりに一緒に弾かない?」
ショパンの譜面を閉じて、譜面台をまっさらにしたネメは、出鱈目なコードを弾きはじめる。
高校時代にピアノ室でセッションした思い出が蘇る。遊びながら名曲をふたりで奏でて、その音で互いの想いを確認し合った、俺と彼女の青春の一コマ。
俺はスツールから立ち上がり、ネメの隣にゆっくりと座る。
「……曲は?」
「Rondo for Piano Duet in D,D.608」
「シューベルトか」
「一台四手の連弾といえばシューベルトでしょ」
「譜面は?」
「必要?」
身長の割に長い彼女の白魚のような指が俺の両手を導くように周囲の鍵盤を叩いていく。
シューベルトは短い生涯において四手のための連弾曲を三十以上残している。俺とネメが高校時代に練習しまくったグラン・デュオの数々……そのなかから今日のネメはロンドを選択した。
「十年近く前に弾いたっきりだぞ? それに俺、課題曲以外暗譜してねぇし」
「いいから弾くの!」
失敗しても構わないから、と笑いながらネメが高音部の演奏を一方的にはじめていく。
これはもはやシューベルトの皮を被ったジャズセッションだ。
俺も意を決して指を滑らせる。彼女の思い通りにはさせないと、リズムをわざと崩しながら。