Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
小さいころから屋敷に遊びに来ていた紡は、須磨寺にとって息子のようなものだったのだろう。雲野一家にも形見分けをしっかりしていたことに、俺は安堵する。
『それから、紫葉の調律師の男……添田が教えてくれたが、彼がお前のシューベルトだったんだな。調律に来た際にお前たちが見つめあう姿を見て、わしも気づけたよ。三年間、音鳴を独り占めしていて悪かったね』
まるで遺言書をネメと俺が一緒に読んでいることまで予知していたかのように、彼の言葉はつづいていた。
『音鳴はいつだったか、わたしはシューベルトの妻になりたかった、と言っていたね。貧乏だったから結婚を諦めたシューベルトの恋人に反発したお前の姿を見て、わしは一時的とはいえ法的に縛ることはできないと思ったのだよ。今度こそ愛する男と幸せにおなり。彼女の気持ちが彼にあることが第一だが、わしからも遺言書という最強の切り札で頼みたい』
須磨寺の手紙の結びに、俺の名がフルネームでしっかりと記されている。
『紫葉礼文、彼方に“星月夜のまほろば”別荘地および屋敷の土地と三台のピアノを、内縁関係にあった大切な鏑木音鳴とともに託す――須磨寺喜一』
日付は彼が死ぬ五日前。俺が屋敷のピアノの調律に訪れた翌日になっていた。
ネメはすでに言葉を失っている。
遺言書を読み終わった彼女は、嗚咽を漏らしていた。