Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
「もう終わるから平気だ。それに、ピアノを弾く指を冷たい水にふれさせたら、お前のお袋さんが化けて出そうだ」
「……昔はそうだったかもしれないけど、いまは違うよ」
「それでも。俺が洗いたいから洗っているだけだ。ネメはテーブルについて待っていて」
先に食べていてもいいから、とやさしく諭されて、わたしは渋々ダイニングの椅子に座る。ナチュラルな木製チェアはすこし不安定で、わたしが足を下ろすと、揺りかごのように前後に震えた。
カレーかと思えば、炒めたというアキフミの言葉通り、カレー粉をつかったチャーハンだった。ドライカレーみたいな色合いをしていて、香りだけでなく見た目でも食欲を刺激している。
「……いただきます」
この辺りは山の雪解け水をつかっているから、夏でも冷たく美味しい水を料理や家事につかうことができる。ピアニストとしてこの地に連れてこられたのなら、きっと冷たい水をつかった家事ひとつしないで、ピアノばかり弾いていたことだろう。ひびやあかぎれを作ることもしないで。
いまの自分の手はピアノだけで生きていた頃と比べれば荒れているものの、恥ずかしい手ではないと自負している。掃除も洗濯も、苦手だけど料理も軽井沢で学んで、自分のものにした。