Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
シューベルトと春の再会《2》
「ねね子や。わしはもうすぐ死んでしまうようだ」
亡き妻の夢を見たという。わたしが生まれるずっとむかしの、ふたりで過ごしたつかの間の、ままごとのような結婚生活の夢を。
わたしはそうですか、と素直に頷き、寝台で横になっている夫を見つめる。
彼が最初の妻を愛しているのは、周知の事実だった。四十歳を迎える前に死別した彼女の写真を見せてもらったことがある。どことなく雰囲気が自分に似ていると、彼は淋しそうに笑っていたっけ。
わたしをねね子、と呼ぶのも、亡き奥様の名前が峰子だからだと素直に暴露した夫である。貴女は死が近い自分のもとに遣わされた天使なのかもしれないな、と言いながら、彼は懇願する。
「そのピアノで、子守唄を弾いておくれ」
人前でピアノを弾くことができなくなったわたしに、唯一の我儘を告げるひと。
ピアノの弾けないピアニストなんて、生きている価値もないと蔑んでいたわたしを傍に置いてくれた、大切なひと。
夫と過ごした軽井沢の日々が、心の傷を癒やしてくれた。プロのピアニストとしてピアノを弾くことはできなくなったけれど、彼の前でなら、気負うことなく指を動かせる。