Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
まるで、シューベルトのグラン・デュオを思いのままに弾いた高校生のときみたいに。
夫婦の寝室に備えつけられているアップライトピアノの前に立ち、わたしはゆっくりと蓋をひらく。
手入れの行き届いているピアノを見ると、嬉しくなるのは子どもの頃から変わらない。特に思い入れのあるこのピアノは……
「旦那様。このピアノは」
「わしが死んだらお前にやるよ。当然だろう、父の形見なんだから」
ポーン。という音で応答して、わたしは椅子に腰掛ける。旦那様がご所望しているのは子守唄。今宵は誰の子守唄を奏でよう。ブラームス、モーツァルト、それとも……
「葬式はしなくていい」
「……え」
「後のことは添田にも頼んでいるから。貴女のことも」
――ねむれ、ねむれ、母の胸に。ねむれねむれ、母の手に。
添田、とはこの須磨寺の家に長年仕えている執事のことだ。
夫が亡くなれば、この土地や複数台所持しているピアノなどの遺産相続で、遠い親戚たちが身を乗り出してくるだろうと、彼は忌々しそうに呟いていた。奴らに渡すくらいなら、すべてを貴女に遺したいと、信じられないことを口にした彼を滔々と諫めてくれたのが添田だ。