Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
「ピアノなんか」と言いながら、それでもピアノがすきで、両親がわたしに伝えてくれたピアノへの熱い想いがふいに蘇って……いつしかわたしは泣いていた。両親の葬式でも泣けなかったのに、居酒屋のテーブルで、ぼろぼろぼろぼろ泣いていた。
見えない将来に足がすくんで動けないわたしを一瞥した彼は、やれやれと嘆息しながら提案する。絶望の淵に立っていたわたしを、掬いあげるため。
「泣くほどピアノがすきなのに、手放そうとしたのか?」
「だって、だって……」
「壮太が遺したアップライトか……わしが引き取ってもいいか? 貴女がピアノを弾きたいと、また弾けるようになるそのときまで、預かってやろうか?」
「ほんとうですか!?」
「ただし、ひとつだけ条件がある」
それだから、彼のとんでもない提案に、乗ってしまったのかもしれない。
「わしと一緒に、軽井沢に隠居するんだ。ピアノの弾けない貴女に別荘管理の仕事を教える。そうすれば、ピアノが弾けなくても生きていくことはできるだろう?」
「軽井沢……」
「須磨寺の一族が所有する別荘地がある。そこにはわしのグランドピアノもあるぞ。人前で弾くのがこわくても、弾きたくなるだろう?」
「グランドピアノ!? ……で、でも」
どうしてわたしにそんなことを言うのだろう。仕事と住む場所まで用意するなんて。父親の師だったからだろうか? 首をかしげるわたしに、彼は苦笑する。
「なぁに。わしはあと数年で死ぬ。どうせならわしを看取ってから死ぬことを考えろって、そう言いたいのさ」