Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
* * *
男の人の話し声に、思わずドキッとしてしまった。
添田と熱心に話し込んでいた男の背中を見て、彼が調律師の紫葉なのかと理解する。
何を話しているのかはわからなかったけれど、一通りの調律が終わったみたいだ。彼が深呼吸をしてピアノを奏ではじめる。
これ――シューベルトの、セレナーデだ!
わたしがピアニストとしてデビューした際に音大ホールで弾いた曲を、彼が演奏していた。
夢と希望で満ち溢れていた頃の自分を彷彿させる、彼の流れるような演奏から、目がはなせない。
だから。
「奥様? 終わったらお呼びすると言いましたのに」
「奥様?」
添田の声で、わたしは我に却る。
その瞬間、紫葉がこちらに顔を向けて――……
「帰ったぞ、ねね子や。おや、紫葉くんもまだいたのか」
「ご無沙汰しております、旦那様」
「お久しぶりだな、すっかり男前になりおって」
「恐縮です……ところで、そちらの方は?」
「ねね子、紫葉くんの演奏はすばらしかろう?」
わたしは紫葉の顔を見て、固まっていた。
シューベルトを演奏した調律師が、かつての初恋のひと――柊礼文にそっくりだったから。違うのは、瞳の色くらい……アキフミは漆黒の瞳だったけれど、彼の双眸は、琥珀色みたいに、明るかったから。
それに彼は、わたしを見ても無表情のままだった。
だから他人の空似だと思ったのだ。