Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
シューベルトと春の再会《6》
シューベルトの遺作をまとめた歌曲集「白鳥の歌」に収録されているセレナーデは、第四曲として収録されている。ニ短調の哀愁漂う曲調がうつくしく、もともとは恋人に対する想いを歌い上げたものである。
紫葉が演奏する姿は、まるで目の前の恋人に愛を囁いているかのようだった。彼の情熱的な演奏を見ていると、自分が求められているのではないかと錯覚してしまう。
夫が隣で一緒に演奏を聴いているというのに、何を思ってしまったのだろう……
「……以上で、よろしいでしょうか」
紫葉が奏でた旋律に酔いしれていたわたしは、こくりと頷くことしかできなかった。
帰り支度をはじめる紫葉を見て、すこしだけ名残惜しい気持ちになったが、その気持ちを顔に出すことはせず、深々と礼をするに留めるのみ。まじまじと顔を覗き込む勇気もなかった。
初恋のひとによく似た調律師……このときはまだ、そう思っていたのだ。