Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
わたしがショパンの子犬のワルツを弾いていたときに、扉の向こうからノックの音とともに添田の声が聞こえた。慌ててピアノを弾く手を止め、扉を開く。気持ち良さそうに眠っている夫を起こさないように。
「まだ、おやすみですが、なにか?」
夫が眠っているのを見て、添田は安心したのか、「失礼しました」とだけ言って去っていく。
扉が閉まる音で、夫がうっすらと瞳をひらく。
「添田か……無粋な奴だ。せっかくねね子のピアノを堪能していたというのに」
「あら、起きていらっしゃったのですか?」
「今朝はショパンの気分なのだね。心が軽くなった気がするよ」
そう言って、ふたたび瞳をとじる。
「ねね子。わしは、貴女が奏でる音がすきだぞ。この先もずっと、弾きつづけておくれ」
「なんだか、遺言みたいですね」
「そうだな……いまのわしは身体が鉛のように重い。昨日までピアノを弾けていた腕を持ち上げるのも辛い。添田に言ったら病院へ入院させられるに決まってる。だから寝たふりをしてやりすごしておったんじゃ」
「で、でも」
「どうせ死ぬなら、ねね子のピアノを聴きながら黄泉路へつきたい」
「そんな」