Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
「死んだらねね子は自由だぞ? ピアノひとつだけ持って、もういちど夢に挑戦するか?」
「できませんよそんなこと」
「可能性はゼロではないよ。わしとしては、この土地とピアノを貴女に託したいと思っているが……ねね子が幸せになれる選択ができればそれでいい」
ふだんより弱々しい声だが、饒舌な夫の語りを前に、わたしは彼の生命の灯火がいよいよ消えようとしているのだなと理解する。
「ただ、ひとつ。謝っておかなくてはいけない、と――……」
うとうとしながら彼が告げた最期の言葉は、わたしの内耳に届く直前に、ピアノの音色に、かき消された。
死の直前の夫がわたしに対して何を謝ろうとしていたのか。
わたしがその真実を知るのは、まだすこし、先のはなし。