Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
俺はふうん、と感心しながら二台目の調律をはじめる。応接間は全体的にモスグリーンのファブリックが使われている。木目調のアップライトピアノは、亡き妻の嫁入り道具だという。若くして亡くなった奥方のことを大切にしていた彼は、いまも恙無くピアノが弾けるよう、管理を徹底させていた。
調律を終えて一曲奏でたのはシューベルトのピアノソナタ第十六番。昨年の春にはじめてこの家の調律を担当した際、俺がシューベルトをすきだと知った須磨寺が、全十一曲が収録されたピアノソナタ集のCDを料金に上乗せして譲ってくれたのだ。それ以来、ピアノソナタの虜になった俺は至るところでピアノソナタを弾いている。
添田は俺が弾くピアノがすきだと言ってくれた。高校を辞めて以来、まともに師についた経験もないのに。主人のピアノの方が、何倍も素晴らしいものであるだろうに。
二台目の調律を終え、一曲披露した俺は、恥ずかしい気分になりながら、椅子から降りる。
そこへ、申し訳なさそうに添田の声。
「実は、もう一台お願いしたいピアノがあるのです。後日精算時に料金は追加しますので、お時間もう少しよろしいでしょうか」
はじめて須磨寺の洋館に足を踏み入れたときは玄関とこの応接間にしかピアノはなかった。
けれども添田は、もう一台、寝室にもアップライトのピアノが増えたのだと苦笑しながら俺に伝える。
「……はい。それは別に構いませんけど」
病気で階下まで降りるのが大変になった主がもう一台新たに奮発して購入したのだろうと思った。だが、二階の寝室に立ち入った際、俺は信じられないものを見てしまった。
――ウェディングドレスを着た初恋の女性の写真が、サイドボードに飾られていたのである。