Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
須磨寺喜一のプロフィールに、音大非常勤講師以前の職として世界的ピアニスト鏑木壮太などを排出した指導者だった旨が記されていたのだ。父親の師である須磨寺が、窮地に陥ったネメをこの地で保護し、後妻にしたと考えれば辻褄が合う。祖父と孫のような年齢差の夫婦は親族から見れば遺産目当ての結婚と思われかねない、だから添田は内密にしろと俺に口止めを要求したのだ。
三度目の調律で、ようやく彼女と顔を合わせることが叶った。添田の「奥様」という声で、彼女が須磨寺の妻である現実を痛いほど思い知ってしまった。
彼女もまた、俺の顔を見て何か感じたらしい。
けれどもそのときの俺はカラコンで瞳の色をわざと変えていたし、髪型だって高校時代よりおとなしくなっている。誰かに似てるな、とは思われただろうが、俺が柊礼文本人だとは思わなかったようだ。
いまはそれでいい。
俺を思い出すのは、須磨寺が死んでからの方が、都合がいい。
「――奥様、リクエストは?」
奥様、と呼ぶのは抵抗があったが、須磨寺や添田が見ている前で感情をむき出しにするのは好ましい状況ではない。俺は調律を終えたピアノの前で、彼女に問いかける。
すると、彼女もまた、俺を試すようなリクエストを返してきた。