Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
彼が奏でる音には数多の感情が含まれている。わたしの前で披露するピアノの音色はいつだって切なくて、官能的で、生き生きとしている。朝露を浴びた花や、高原を翔ける風、小鳥たちの囀りに、降り積もる雪の情景までもが彼のピアノで表現される。
高校時代から変わらない、いや、それ以上に蓄積された努力家で秀才の彼らしい、腐ってない音色が、夫とは異なる意味で、わたしを癒やし、生きろとエールを与えてくれる。
「ずっと、ピアノ弾いていたんだ」
「お前のような超絶技法は無理だけど、弾いてないと腕が鈍るだろ」
「わたしももうプロのときのようなストイックな演奏は無理だよ。体力も筋力も落ちたし」
「ずいぶん痩せたもんな」
「そう、かな……」
「それだけ大変な思いをしたってことだろ」
ぶっきらぼうに応えたアキフミを見て、そうなのかと考える。ピアニストのときよりも健康的な生活を送れているからか、両親の死をきっかけにすとんと落ちたきりの体重は戻ることもなく、ぽっちゃり気味だった高校時代よりも薄っぺらい貧相な身体になってしまった。ピアニスト時代に着ていた胸を強調するようなドレスも、もはや着こなせないだろう。
――もしかして、わたしの身体が貧相になったから、アキフミはあの日以来、抱いてくれないの?