彼女
第十七話 やっと思い出した?
靴箱を開けると、一通の手紙が入っていた。白い便箋。表に綺麗な文字で僕の名前が書かれ、裏には、黒猫のシールで封がされており、差出人の名前はない。
俗に言う、ラブレターと言うやつか、果たし状と言うやつだろう。まさか、学校で配布するプリントをこんな便箋に入れて渡すやつなんていないだろうし。
「うわっ、それってラブレター?」
後ろから、栗原が僕の手に持っている便箋を見て一際大きな声でそう言った。僕は嫌な奴に見られたと急いで鞄の中にしまうと、そそくさとその場から離れようとした。
どんっ
急いでいたからか、よく前方を見てなかったこともあり、そこを歩いていた女子生徒とぶつかってしまった。
咄嗟に女子生徒の腕を掴み、転びそうになるのを阻止すると、その女子生徒は困ったような表情で僕へ頭をさげると、足早に去ってしまった。
「あーぁ、驚かせちゃって」
と、僕の後ろで、栗原が呆れたような声で言っている。僕は、半分は栗原にも原因があるじゃないかと思う。そんな、不満気な表情をしている僕を見て栗原はあははと笑った。
「おはよう」
ふと挨拶された方を見ると、山川さんが笑顔で、僕と栗原のやり取りを見ていた。山川さんには、以前のような硬さは見られず、自然に挨拶が出来ている。
栗原は上靴に履き替えると、山川さんを促し階段の方へ歩いて行った。
僕は教室へ行く前に自販機へ向かうと、先程、僕とぶつかった女子生徒が自販機の前で何を購入しようか迷っているところだった。
僕は少し気まずく、彼女から離れた場所で待っていると、彼女は僕の存在に気がついたのか今度は困ったような表情じゃなく、にっこりと微笑んできた。
背中の中ほどまで伸びた黒い真っ直ぐな髪。
少しつり目の大きな瞳。
ちくり…
僕は、走る痛みにこめかみを指で押さえることで和らげようと試みた。
彼女は、僕に一歩一歩近づいてきた。
僕の勘違いではなく、僕に向かって歩んで来ている。
そして、僕の目の前で歩みを止め、僕の顔をじっと見つめている。
「やっぱり、あの頃の面影はだいぶ残っているわ」
と、僕を見つめながらどこか懐かしそうに、そう呟いた。ちくりとくる痛みに耐え、彼女は誰だと自問した。
「よく見て」
彼女はさらに僕に近づき、顔を寄せてくる。
「怖がらないで」
そう言うと彼女は僕の頬に触れた。そして、優しくにこっと笑った。彼女の笑った口元に、八重歯が見えた。
ちくり
痛みとともに、昔の記憶が甦る。
「手袋、大切にするから」
寂しそうに微笑む女の子…
黒く真っ直ぐな髪の女の子
少しつり目の女の子
「掛川…」
僕は、その女の子の名前を口にした。
「やっと思い出した?」
彼女は頷くと、もう一度、僕に向かって潤んだ目で微笑んだ。
「学校で何度もすれ違ってたんだけどね」
そう言うと、僕から少し離れた。
僕は現状を受け入れようにも、精神的に混乱しており、何も言えず、呆然と彼女を見つめている。
「もうすぐホームルームがはじまるわ」
そう言うと掛川はくるりと向きをかえ、僕を置いて去っていった。
掛川の後ろ姿をぼぅっと見つめていた僕は、はっと我に返り、自販機でジュースを買って慌てて教室へと向かった。
掲示板で名前を見つけた時に比べ、精神的なショックは少なかったが、それでも、動揺は隠せていなかった。
全く一時限目の授業に身が入らず、掛川のことを考えていた。
あの別れから三年半くらい経っていた。面影はかなり残っている。
「学校で何度もすれ違ってたんだけどね」
その言葉の通り、思い返せば何度も見かけていた。掛川はもっと早くから、僕のことに気づいていたんだろう。
僕は、気づかなかったな。
いや、気づかなかった、と言うより、気づかないようにしていたんだろう。
思い出して、気づいて、彼女に関わりあわないように。心に蓋をして。
ちくりとくるあの痛みは、僕が思い出さないようする警告みたいなものなのだろう。
それでも、彼女とは、栗原や山川さんのような関わりは持ちたくないと思う。
彼女と関わりを持ってしまったら、僕は、澤部のことを……
ちくり……
こめかみに痛みを感じると、静かに目を閉じ考えるのをやめた。
一時限目が終わり休憩時間にトイレに行き、教室へ戻る途中の廊下で、
「ラブレター読んだ?」
と、栗原に捕まり今朝の封筒のことについて尋ねられた。
すっかり忘れていた。
考え事に夢中になっていた。
「まだ」
そう答えると、栗原は残念そうにしている。そんな栗原を見ていると、もしかしたら、あの封筒は栗原の仕組んだ悪戯じゃないのかと勘ぐってしまう。栗原は、僕の心の中を見透かしたのか、
「いや、私の悪戯じゃないから」
と、笑いながら言うと、教室へと戻って行った。
自分の席に戻った僕はすっと鞄から封筒を取り出して、机に置いてある教科書とノートの間に挟んだ。休み時間が終わって、次の授業中に読むためだ。休み時間に手紙を読んでいるところを誰にも見られたくない。特に栗原に。
次の授業を知らせるチャイムが響き教室へ教師が入ってきて、教壇に立ち、小さく頷いた。それをきっかけに、授業が始まった。
僕は、教師から手紙を読んでいることが分からないように、机に教科書を立て、ゆっくりと封筒の開けた。
封筒に貼ってあった黒猫のシールと同じ柄の便箋が一枚入っている。その便箋に、
『本日の昼休み、お話しがありますので、屋上に来てください 掛川』
とても綺麗な文字で書いてあった。内容よりも、綺麗な文字が、可愛らしい黒猫の便箋に似合わないなと思った。
そう言えば彼女と手紙のやり取りをしていた時も、黒猫の便箋をよく使っていた。
自販機前で会った時に、直接言えば良かったのにと思ったが、彼女もまさか自販機前で会うとは思っていなかったんだろう。
僕は便箋を封筒に戻し、鞄の中に入れた。
昼休みになると、僕は重い足取りで、屋上へと向かった。
突然、大雨が降らないかなとか、急に屋上が開放禁止にならないかなとか、子供みたいなことを考えている。
でも、この時は逃げれても、結局は同じ学校だし、逃げ切れるわけじゃないとも分かっている。
そんなことを考えていると、屋上に着いた。
屋上へ出る扉を開けると、そこには数人の生徒がいた。その生徒たちから、少し離れたところにあるベンチに掛川が座っていた。掛川はどこか遠くを眺めていたが、僕が屋上にやってきたことに気づくと、僕の方へ手招きをして、掛川の座っているベンチの横に座らせた。
僕は掛川の横に座るとコンビニ袋からおにぎりを取り出し、封をあけ、もしゃもしゃと食べ始めた。
「余程、お腹空いていたのね」
掛川は、おにぎりを食べる僕をちらりと見て、笑って言った。
「話しって?」
僕は、掛川の方は見らず、手に持っているおにぎりを見ながら聞いた。まだ、掛川の顔を、その瞳を見ることに抵抗がある。
掛川は僕の問いに、一呼吸おいて、ゆっくりと言った。
「あなたに会って欲しい人たち、会いたいがっている人たちがいるの」