彼女
第十八話 引き返せない
日曜日の午前七時三十分。
普段の日曜日なら、まだ、寝ていてもおかしくない時間に、僕はO市内の私鉄駅前にあるコンビニから出てきた。
手に下げたコンビニ袋の中には、おにぎり二つとペットボトルの水が一本。
コンビニ前でおにぎりを取り出しもしゃもしゃと食べながら、駅前広場を見ていた。日曜日の朝ということもあり駅前広場は閑散としており、鳩が数羽、いるだけであった。
僕が一つ目のおにぎりを食べ終わり、二つ目を食べようと取り出した時、駅前バス停にバスが停車した。そのバスの中から掛川が降りて来たのを確認すると、急いでおにぎりを口の中に放り込んだ。
掛川と駅前広場の時計下のベンチで、午前八時に待ち合わせをしていたが少し時間があったので朝食を買うためにコンビニに入ったが、予想より掛川が早く来てしまった。
口をもごもごしなが、待ち合わせ場所である広場の時計下ベンチへ向かうと、僕に気づいた掛川は、行儀が悪いわよと苦笑いをしている。
掛川は少し化粧し、グリーンとネイビーとホワイトのチェック柄のワンピースを着ており、女の子らしく可愛くお洒落をしていた。
しかし、そんな掛川に対し、よれよれの白いTシャツに迷彩柄の短パン、足元はビーチサンダルで、掛川と二人で出かけるというより、近所のコンビニに行くような格好が場違いな感じがした。
「海にでも行くの?」
掛川は僕を見てそう言うと肩に掛けていた、小さな黒猫の絵が書いてあるバッグから携帯を取り出し時間を確認した。
黒猫が好きなんだろうな、僕はそう思いながら掛川のバッグを見ていると、その視線に気づいたのか可愛いでしょ?と、その場でくるりとまわった。スカートの裾がひらひらと舞い上がる。
僕はバッグを見ていただけだよと思ったが、それを口に出すのはやめた。
僕ら二人は電車が来るまで少し時間があったが駅に行くことにした。改札を抜けてた先のホームには誰もおらずとても静かだった。ホームにあるベンチに二人並んで座ると掛川が、
「来てくれると思っていた」
と、僕を見てそう言った。
あの日の屋上で、僕は掛川に、
「行けたら行く」
とだけ、言っていたから。
正直、行くか行かないかとても迷っていた。おかげで、なかなか寝付けず寝不足である。僕は片手を口に手を当て、小さく欠伸をした。
眠たそうにしている僕の横で掛川は、ふんふふんと、鼻唄を歌いながら電光掲示の方を見ている。ちらりとその横顔を見ると、もともと大人びているせいと、化粧をしているためか、とても、十六歳の女の子には見えなかった。
栗原はずかずかと僕の空間に入ってくるタイプだったけど、掛川は、するりとまるで猫のように、気づいたらそこにいると言うようなタイプだ。
そんなことを考えながら掛川の横顔を眺めていると、僕に気づいた掛川が、
「なに?」
と、聞いてきたので、僕は慌てて掛川から視線を逸らし、喉が乾いていないのにごくごくとペットボトルの水を飲んだ。
三年半と言う月日は、掛川を可愛らしかった女の子から綺麗な女の子に成長させていた。
そんな掛川と目があうのが、少し恥ずかしい。
僕の中で掛川は、あの日の小学六年生のままでとまっていた。今、隣にいるのが本当に掛川なのかと戸惑う僕がいる。
静かだったホームにけたたましいベルが鳴り響き、独特のイントネーションでホームに電車が入ってくる放送が流れた。
掛川はベンチから立ち上がり先に電車に乗ると僕の方へ振り返り、行こうと一言いい、僕をじっと見つめている。
僕は引き返すなら、これが最後のチャンスだと思ったが、見つめる掛川に引き込まれるように電車の中に入っていった。
扉が閉まるとゆっくりと電車が進み出した。これで、僕はもう引き返せないと思い、拳をぎゅっと握りしめた。
電車内はがらりとしており、僕らは入口から近い二人がけのシートに座った。
掛川はゆっくりと速度を上げながら流れて行く車窓をしばらく眺めていた。
「ねぇ、駅で待ち合わせして電車に乗るなんて、あの日を思い出すよね」
と、僕の方は見らずに言った。
あの日とは、クリスマスに二人で出掛けた日のことだろう。掛川との最初で最後のデート。
「私はあの日のことを、今でもはっきりとおぼえているわ。あなたと行ったお店、あなたとの会話、あなたと食べた鯛焼き。どれもおぼえてる」
流れ行く景色を眺めながら、思い出を楽しむように話し続ける。
「あなたと離れてからもずっと会いたかった。会ってたくさんお喋りしたかった。お洒落をして、また、デートがしたかった」
そう言うと車窓を見るのをやめ、俯き下を向いた。
僕は何も言わず、掛川の話しを黙って聞いている。
「手紙の返事がこなくなって私は、あなたに好きな人が出来たんだって思った時も、学校の校門で偶然あなたを見つけ、目があった時に私のことを忘れているあなたを見た時も、その度に、何度も何度も、あなたを忘れようとしたわ」
掛川の白く細い腕が少し震えている。その震えを抑えようと、ぎゅっと掌を握りしめている。
栗原の言う通り僕は自分を守るために、僕のことを大切に思ってくれている人を傷つけてしまっていた。
「あなたに何があったか、少し前に篤くんたちから聞いたわ。全然知らなかった。あなたがあんなに辛く苦しい思いをしていたなんて」
やっぱり、聞いていたんだ。
掛川には知られたくなかった。僕が一方的に手紙のやり取りをやめた時、僕のことなんて忘れて欲しかった。同じ学校だとしても、僕のことはもう忘れて、早く新しい別の恋をしていて欲しかった。
「私はずっと遠くにいて、あなたの側にいられなかった、支えれなかった。何も出来なかった。だから私は、あなたに話しかける資格なんてないって思った。でも、それでも、私はあなたのことが忘れられない。そんな私の背中を桜が押してくれたの」
「……」
「今からでも、私はあなたにできることをしようって。私のことをもう一度、好きになって欲しいなんて言わない。でも、あなたの力になりたい」
そう言うと掛川は僕の手をそっと握った。僕はこれ以上、関わりあいたくないという心と裏腹に、その手をどかすことが出来なかった。
その手の温もりが心地よかった。