秘する君は、まことしやかに見紛いの恋を拒む。
絵で還元して下さい、という言葉に無意識にビクッとする。

私の絵の為なら、秋世さんは時間とお金を惜しまないつもりなのだろうか。

今は亡き雪谷食品の次期社長の婚約者だったイラストレーター。

・・・そんな肩書きは、秋世さんにとってそこまで大きなものなのだろうか。

経営者である秋世さんの考えをビジネスをかじった事もないような私が理解する事が出来る筈もないからか、凡人である私はその肩書きに秋世さんが期待する程の大きな価値を見いだす事は出来ない。


「そうやって私にお金と時間をかけて、それでもどうしても私が良い絵を描く事が出来なかったらどうなるんですか?」

そう尋ねると、秋世さんは顔色を変えないままに一拍置いて答えた。

「描き続けて貰います。パッケージにするに十分な絵が手に入るまでずっと」
「・・・・・・。」
「俺が四宮さんを見限って、そうしたら俺から解放されるかもしれないとか考えてましたか?」

考えていた。それだけに秋世さんのその言葉に一瞬背筋が凍る。

そして、秋世さんがどうして私の肩書きと絵にそこまで執着するのかが理解出来ない。

「そういう事を考えていた訳ではないです」

そう嘘をついてチョコレートソースのかかったドーナツに手を伸ばし、いただきますと言ってから口に運ぶ。

一日中飲み物すらまともに入れていなかった空っぽの身体に入れるドーナツは酷く甘くて美味しかった。

あれほど食欲がないとあまり食べ物を口にしない生活を続けていたが、身体と心は繋がっているようで繋がっていない。身体はずっとカロリーを欲しがっていたのだろう。

食欲が無くてもきちんと食べないといけないという秋世さんの言葉は正しい。

「美味しいですか?」
「はい、凄く美味しいです」
「良かったです。ただ、明日からはきちんと野菜もとって下さいね」

そんな秋世さんとのやりとりに少し小っ恥ずかしさを覚える。

・・・冷静に考えれば、もう子どもではない良い年をした成人女性が年下の男性に食生活を心配されているこの状況はかなり情けない。
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