スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない
「あ、あの……。IMPERIALには、たまに足を運びます」
「……わかった」
仕方がなく最初に出会ったバーの名前を出すと、顔を上げた啓五が静かに頷いた。
これは最大限の譲歩だ。陽芽子は約束をしたわけではない。曜日や時間を申告したわけではない。待っているとも、待っていて欲しいとも言っていない。今のはただ、自分のプライベートの行動を呟いただけ。
けれどその一言で啓五の機嫌が戻ったことは感じ取れた。
「失礼いたします」
これ以上話すことはないし、啓五も何も言わない。話は終わったのだと判断し、陽芽子は丁寧に頭を下げて踵を返した。そしてドアノブに手をかけた、その瞬間。
「陽芽子」
後ろから伸びてきた啓五の手が、陽芽子の手の上に重なった。
びっくりして振り返ると、至近距離で啓五の瞳と目が合う。いつの間にか抱きしめられるほど距離を詰められており、すぐ傍に啓五の体温が迫っていた。
「な、何ですか……?」
「いや、必死に逃げようとする陽芽子が可愛くて……つい?」
「……っ、し、失礼いたします!」
急に甘い言葉を掛けられたことに驚き、ほぼ絶叫に近い挨拶を残すと慌てて副社長室を後にする。そして誰もいない廊下を早足で駆けながら、陽芽子はすでに自分の発言に後悔を感じ始めていた。
おそらく啓五は、社内で陽芽子に会ったとしてももう過剰な反応は示さないだろう。けれどああ言ってしまった以上、IMPERIALで会う可能性はある。そのとき陽芽子は一体どんな顔をすればいいのだろうか。
(私もしかして、コミュニケーション下手……?)
自分の疑問が正解なのだとしたら、お客様相談室室長が聞いて呆れる話だ。