スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない
「これ、忘れ物」
固まる陽芽子に差し出されたものは、陽芽子が愛用しているリップスティックだった。啓五の手の上にある細長いシルバーのメイク用品を見て、思わず『あっ』と声が出る。
「昨日、忘れて行っただろ。次会う時でもいいけど、ないと困るんじゃないかと思って」
直前までの冷たい声と打って変わって、啓五は急に穏やかな口調になった。
確かに今朝、メイクを直そうと思ってポーチを開いたらいつものリップが入っていなくてちょっと焦った。だからその時点で、前日の夜にIMPERIALのトイレに忘れてきてしまったことには気が付いていた。
もちろんちゃんと保管しておいてくれたのは有難い。けれど、わざわざ陽芽子の部署まで持って来なくてもいいのに。しかも春岡の前で名前まで呼んで……!
「……白木?」
「ち、違います……!」
何も聞かれていないのに、口から出たのは否定の言葉だった。でも回答としては間違っていない。大きく目を見開いた春岡の表情を見て、彼が陽芽子と啓五の関係を誤解したのだと即座に理解した。
「あー……じゃあセキュリティチェックだけ頼むな」
素早く自分のデスクへ戻った春岡が、そのまま勢いよく上着とバッグをわし掴む。
「課長、まっ……!」
「ご苦労様」
声を掛ける陽芽子とその言葉を打ち消した啓五に、春岡も一瞬だけ振り返った。けれど啓五に向かって頭を下げ、知ってはいけない事実を知ってしまったような顔で、逃げるようにコールセンターを出て行く。
屋内なのに、ひゅるりと晩夏の風が吹く。
「ちょっとおおぉ!! 副社長~~!!」
怒りを込めて啓五の方へ向き直るが、知らぬ顔をされてしまう。不自然に視線を逸らした啓五に対して、怒ればいいのか、悲しめばいいのか。