薄氷
なあ、と前方から風に乗って流れてきた声が耳を撫ぜる。
「俺と付き合えよ」

状況と台詞の唐突さに、頭がこんぐらがるばかりだ。どういう意味? 付き合うって、あの付き合うのこと?
絶対イヤだ、と言いたくて結局何も言えない。口にしたところで、言葉は後ろに流されて、彼には届きそうもない。
どこに連れて行くつもりなんだ…不安ばかりが膨らんでゆく。

いいかげん腿と尻が痛みを訴えたはじめたあたりで、その場所が見えてきた。佐澤洸暉が漕ぐ速度をゆるめる。

白塗りの塀が端が見えないほど長く続いている。間違いない、ここが町外れにある佐澤のお屋敷なのだろう。つまり彼にとっては自宅だ。こんなところに住んでるんだ…どうにも想像がつかない。
全容が見渡せないほどの広壮さに圧倒されてしまう。

両開きの重々しい扉の前をゆっくりと通り過ぎる。その先に、簡素な作りの木戸があり、そこで彼が自転車を止めた。

かつては使用人用の通用口だったのだろう。あんな重たそうな正面扉をいちいち内側から開けてもらうのも面倒だろうし、普段は彼もこちらを出入り口にしているのかなと推測する。

塀の上部では、さりげなく監視カメラが睨みをきかせている。建物の土台は保ちつつ、近代機器も組みこんでいるようだ。
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