薄氷
「看護系の専門学校なら三年で卒業して受験資格が取得できるんだって。奨学金も申請するし、進路指導の先生もなるべく学費を抑えられる手立てを調べてくれるって」

母も祖母も、箸を持つ手が止まったまま、場にひととき沈黙が落ちた。
でも陽澄、と目を伏せたまま母が唇を解いた。
「…佐澤の息子さんとは、」

別れるもへったくれも、そもそも付き合ってもいないのだ。
間柄を表現するなら、絶対に口には出さないけど “セフレ” でしかない。支配被支配の関係、ともいえる。
その彼の存在が、志深からの脱出の原動力でもあるわけで。

めいめいの皿に盛られたかに玉が、少しずつ熱を失ってゆく。佐澤家から回ってきたカニ缶で、祖母が腕をふるったものだ。
この前はカニの炊き込みご飯も食べられた。カニカマではない本物のカニを口にすることができるのは、佐澤の息子さんのおかげなのだ。

しかし、と陽澄も思うのだ。志深に残ったところで、佐澤の息子さんと自分にどんな未来があるというのか。
自分の家柄(あまりこんな旧時代的な言い方をしたくないけど)で、佐澤家に嫁げるはずはない。それは母も祖母も、志深の人間であればこそ、よく理解しているはずだ。お妾さんがいいところだろう。妾の子の妾にでもなれというのか。

あるいは遠からず飽きられて捨てられるか。
鎖で縛られているわけじゃない。ならば脱出するのだ、引力の圏外まで。
< 86 / 130 >

この作品をシェア

pagetop