信じてもらえないかもしれませんが… あなたを愛しています
ロビーに佇む樹は、朝とは違うスーツ姿だった。
朝別れた時、彩夏が地味なスーツだったから合わせてくれたのかも知れない。
あの時の事を思い出すと、頬が熱くなる。
『なるべく、考えない様にしなくちゃ』
離婚届を入れた茶封筒を傷めない様にそっと胸に抱いた。
「遅くなりました。」
「いや、疲れてる所をすまない。」
「いえ…。」
「少し早いが、食事にする?」
その時、彩夏に連絡が入った。
「チョッとごめんなさい。」
電話は久保田からだった。
出産が始まったカンナの具合が悪いらしい。
彩夏はすぐに帰る事にした。
「牧場から連絡が入って、帰らなくちゃいけなくて。」
「そうなのか…。」
「あなたのお祖父様の愛馬が難産なんです。」
「カンナか…今朝そういえばそんな話をしていたな。」
「馬だって、命がけで子孫を残しますからね。」
つい、余計な事を言ってしまった。
「それで、今日はどんなご用だったんでしょうか。」
「これからの事を一度話し合っておきたくて。」
「ああ… 丁度、私もそう思っていました。」
彩夏はきっと離婚の話だと内心喜んだ。
10年も関わらなかった形だけの妻より、彼に相応しい相手が出来たのだろう。
「また、後日具体的にご相談しましょう。」
「ああ…。」
「良かったら、これ準備してきたのでどうぞ。」
茶封筒を樹に手渡して、彩夏は別れを告げた。
「では、失礼します。」
樹は封筒を手にしたまま、ぼんやりと彩夏を見送った。
『馬も子孫を残すか…』