ちゅ、
「水曜日、空いてたら夜飲まない?」
イケメンから届いたラインに頭を抱えて、返事に迷う
断ってもいいのだけど、どうせその三日後に碧くんと私とイケメンで会うのになんだか気まずくて、結局会うことにした
今週は木曜と金曜は祝日だから四連休
そのうちの三日間は碧くんとの予定がある
後半の二日間は連続して会うから、私が「碧くんの家に泊まりたいな」と言ったら碧くんは「それ俺も考えてた」と言ってくれて、お泊まりすることになった
碧くんにイケメンのことを報告しても、やっぱり「行かないで」とは言われなかった
木曜日は初めてちゃんとしたデートの日だから、前日は夜更かしも飲酒もしたくない
イケメンと飲みに行く前に、木曜日の準備をしっかりして、木曜日の朝イチにネイルの予約をして、待ち合わせ場所に向かった
その日は雨なのに、イケメンは傘を持っていなかった
駅からお店までの数分間、イケメンと相合い傘をして、これが碧くんだったらと考える
イケメンとは当たり障りのない話をして、次の日朝イチでネイルの予約してるからと21時には解散した
帰り際、イケメンが「来週の土曜日、俺の誕生日なんだよね」と言った
「じゃあお祝いしないとね」
そんな気もないのに適当な返事をして、また今度ね、と手を振る
その手をイケメンがそっと握ってきた
手を握られても冷静に受け止めてる自分を嫌なやつだなと思う
きっと碧くんなら、こうやって手を握るよりも前にちゃんと気持ちを伝えてくれるんだろう
イケメンは振られるのを恐れてとても保守的だ
だから恋人がいないのかな、と思った
自分が惚れた相手が他の人が惚れないわけがないと焦ったりしないんだろうか
それとも相手は自分だけを見てくれているという絶対的自信でもあるんだろうか
私はいつ碧くんが心変わりして他の子に取られないか、今でも不安なのに
イケメンと別れてからすぐに碧くんに連絡した
「これから家帰って明日のためにすぐ寝る!」
私が明日をどれくらい楽しみにしてると思う?って聞いてみたいのを我慢して、でもニヤニヤが止まらなくて、頭がお花畑だ
次の日、ネイルしながらネイリストにずっとのろけ倒して、家で碧くんの迎えを待った
「着いたよ」
碧くんからのラインを確認して家を出る
この日のために服を買って、化粧も気合を入れたし、ネイルも新しいし、今日の私は紛れもなく碧くんのために頑張った
運転席の窓を叩いて、開けてもらう
碧くんにキスをしてから車に乗り込んだ
「乗ってからすればいいのに」
そう言う碧くんは満更でもなさそうでかわいい
「乗ってからもするよ」
そう言ってまたキスをした
「今日すごく可愛いね、仕事の時とは服の色味が違う」
碧くんはそう言って私の服装を確認する
たしかに今まで仕事帰りに会ってた時は寒色系ばかりだった気がする
今日は白とピンクとアイボリーで、私の中でのザ・女の子のイメージ
「ネイル変えた?」
さすが碧くんは目ざとい
「うん、ついさっき」
「まじか」
「本当は一昨日の仕事帰りにしようかなと思ったんだけど、それだと最初に見るのが碧くんじゃなくなっちゃうから無理矢理今日にねじ込んだ」
笑いながらそう言うと、碧くんは「茜のそういうところが好き」と言った
そうやって好きっていっぱい言ってくれる碧くんが私は好きだし、たくさん救われてる
お昼すぎに都内の水族館についた
クラゲとサメが好きな私は写真を撮りまくって、ひたすら「かわいい」を繰り返す
イルカショーを見て碧くんは感動して泣いていた
そういうところも好きだ
一通り楽しんで、水族館を出るときには私は疲れ果てていた
朝から気を張りすぎていたんだと思う
碧くんの車で1時間ほど仮眠した
助手席のシートを倒して寝る私の隣で、運転席で座ったまま寝る碧くん
きっと私に気を遣ってる
どこまでも優しい
予約していたイタリアンのお店まで二人で歩いた
ディナーをとりながら、私の家族の話をする
私はネグレクト家庭で育った
特に暗いエピソードがあるわけでもないし、周りから気付かれることはない程度の、気付くとしても保育士や教師だけくらいの、つらかったと大声で言えるほどでもない
けれど、確実なネグレクト
両親ともに健在で、母とは特別仲が悪いわけでもない、どちらかといえば良い方
でも母は私に興味などなかった
いや、私に興味がないというより、自分と仕事以外には興味の薄い人だった
私が9歳の時に弟が産まれてからはさらに私への興味が無くなったと思う
母は外資系企業に勤めるバリバリのキャリアウーマンで、忙しいときは土日もフルタイムで仕事
私が起きる前に家を出て、私が寝てから帰ってくる
私は幼い頃はお父さん子で、母に対して「お母さんなんて大嫌い」と何度も言った
嫌な娘だったと思う
でも本当はずっと母が好きだった
でも母がそれに答えてくれることは私が大学生になるまでなかった
私が幼い頃、お父さん子だったのは、今考えれば暴力を振るう父への防衛反応だった
そして母への反発は母の私への愛情を確かめるための試し行動だ
それがわかったのは私が保育士を目指して大学へ進学してから、授業を受けるうちに自覚していった
高い授業料を払ってカウンセリングを受けているようだった
私の二歳上の姉は中学生のときによく家族に暴力をふるっていた
家に帰ってこないことも多くて、髪を染めたりピアスを開けたりいわゆる不良と呼ばれそうな外見だった
ただ、姉は感情の起伏が激しくて、機嫌の良い時は無害なのだ
機嫌が悪いと暴力、暴言、金銭の要求など、プライドのかけらもないことをしていた
論理が破綻した理由で勝手に一人で怒っていて、私もよく暴力を振られたし、私のお年玉貯金から金をむしり取っていた
私の反抗期は家族へ向けたものではなかった
反抗期が訪れるほど、家族との関わりはなかったから
私の反抗は学校の大人へ向いた
特になんの理由もなく中学校に行かなくなった
「出席しなくても卒業はできるから」
幾度となく口にしたこの言葉は、たしかにその通りなのだが将来の私がすごく後悔することになる
私が学校に行かなくても親に怒られなかったのは、親がそれを知らなかったからだ
私より先に出るから、私が学校に行ったか確認できない
私は毎日、日が上ってから寝て、
昼過ぎから夕方の間に起きて、
陸上部の部活に参加して、
あたかも一日学校で過ごしたような顔をして家に帰って、
また翌朝まで何をするでもなく起きている
そんな生活だった
週に一回でも学校に行くと、担任から褒められるほど
その生活に焦り始めたのは、担任から「このまま休み続けると高校に進学できない」と言われた時だ
不登校になってから一年くらい、中学二年の終わり頃だった
大学までは絶対に出ないとと思っていた私は、そこから半年ほどは週の半分はちゃんと出席するようになった
ただ、内申点や出席日数が高校受験に響くのは一学期までの話で、それ以降は関係ないと知ると、また学校に行かなくなった
こんなんでも県内の底辺校には入れて、なぜか高校生になってからは毎日ちゃんと通えた
そこで出会ったのが今でも付き合いのある友人二人
進学先を決める時期になった時、私は迷わず保育士資格が取れる四年制大学を志望して、合格した資格は取れるけど偏差値は底辺の大学へ進学した
大学二年生で初めてバイトをして、なんで今までしなかったのか疑問なほど想像より楽なことに驚いた
大学二年の終わり、資格を取るのをやめると伝えたら母親から怒られた
でもそれも一週間ほどしたら母にはどうでもいいことになっていて、私が外でよく遊ぶようになった大学四年生のころ、ようやく私と母の関係が改善した
改善した、というより、私が母に母親としての役割を求めることをやめた、という方が正しい
母に期待することをやめたら全てが円滑になった
私が社会人になってから、母と同じ業界で働くと、より母との距離が近くなった
母はどこまでも仕事人間なのだ
私と母の関係が良くなるのと反比例するように私と姉、母と姉の関係性が悪くなった
そこには私は一切干渉しなかったけれど、漠然と姉はきっと改善できないだろうなと諦めていた