恋する理由がありません~新人秘書の困惑~
 副社長室から秘書課に戻る途中で、秋本さんと健吾さんの姿が見えた。
 ふたりの声は聞こえないが、前を歩く秋本さんの後ろに健吾さんがピタリとくっ付いて話しかけていて、相変わらず仲のよさを感じた。だけど今日は少しばかり様子が違っている。秋本さんが明らかに仏頂面をしているのだ。
 健吾さんが機嫌を直そうと必死に弁解しているように見えるものの、秋本さんは顔をしかめたまま無視を続けている。

 どうしたのだろう。彼女があそこまで怒るところは私は今まで見たことがない。
 ふたりはまだ付き合ってはいないはずだが、いつも穏やかでやさしい秋本さんをこんなに怒らせるなんて、健吾さんがなにかやらかしたとしか思えない。

「お疲れ様です。健吾さん、いらっしゃってたんですね」

 私がふたりに駆け寄って挨拶をした瞬間、秋本さんは怒りの気配を消し、健吾さんは苦笑しながら「久しぶり」と言葉をくれた。

「珍しいですね。喧嘩……ですか?」

「違うのよ。私が神山物産の御曹司と喧嘩なんて、できるわけないでしょう」

 口調に含みがあるようには感じなかったが、急に距離を置くような物言いが気に入らないとばかりに、健吾さんは真顔になって一瞬天を仰いだ。

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