おじさんには恋なんて出来ない
辰美と一緒に繁華街の中を歩く。あれから六年も経ったからか、人の視線はそれほど気にならなくなった。六年も経てば美夜の格好や見た目も変わったし、多少厳しい世界に揉まれて老けたのかもしれない。
「辰美さんは……今も同じ会社で、お仕事を?」
「はい。この間部長になったところです」
「すごいですね」
「上司が退職して、それで繰り上げになっただけですよ」
辰美は謙遜するが、それだけでなれるものではないだろう。元妻が会社に嫌がらせしていたと言っていたが、事態は治ったようだ。美夜はホッとした。
「最近……」
辰美はふと立ち止まると、道の脇にあった店を見た。台湾のタピオカドリンクの店だ。
「タピオカが流行ってるって聞いたんですが」
辰美が突然タピオカの話を始めたので美夜は驚いた。なぜ急にタピオカなのだろう。
「いえ……流行ってたのは何年か前のことだと思います、けど……」
「……そうなんですか?」
「ブームは続いてますから、今でもお店がありますよね。私も、たまに飲んでます」
「そうですか……どうも、やっぱり若い子の流行りには疎いな」
「飲んだことないんですか?」
「機会がなくて」
五十近い辰美がタピオカドリンクを買って飲んでいたら色んな意味で驚きだ。よほど好きか流行りに興味がなければ、買って飲むことはないだろう。
「飲んでみますか?」
特に意味はない。ただ、このまま食事もせずにぶらぶら歩いているだけだと本当にお腹が空くから、話にネタにどうかと思っただけだ。
「俺でも飲めそうなものがあれば」
「えっと……」
美夜は店の看板を眺めた。よくあるテイクアウトのみの店のようだ。看板には色々メニューが載っている。
辰美の好みは知っている。コーヒーは苦いものを飲むが、甘いものが嫌いなわけではない。しかし、甘ったるいものはあまり好まない。
「タピオカジャスミンティーとか、どうでしょう?」
「美味しいんですか」
「辰美さんは好きだと思いますよ」
いつまでも好みを覚えているなんて図々しいだろうか。辰美は気を悪くしたふうでもなく、「じゃあ、それにします」と言った。
「美夜さんは?」
「私はマンゴーが好きなので、タピオカマンゴーにします」
レジに並ぼうとすると、辰美が制した。まさか奢る気だろうか。
「大丈夫」
「でも……」
────私達は他人になったのに。それとも、歳上だから?
なんだかむくれているとレジを済ませた辰美が両手にドリンクを持ってきた。所望したタピオカマンゴーを受取り、美夜はペコリと頭を下げた。
「ありがとうございます」
口をつける。よく知っている味だが、今日はいつもより甘ったるく感じる。辰美も口をつけた。タピオカを飲んでいる辰美はなんだか可愛い。
「ああ、これぐらいさっぱりしてるなら飲めそうだ」
「どうして、突然タピオカを?」
「……なんでかな。若い子が好きって聞いたから、君もそうかもしれないと思ったのかもしれない」
あの辰美と、二人で街中で突っ立ってタピオカドリンクを飲んでいるなんて、なんだか滑稽だ。
今までは格好良くて遠い存在だった辰美が、少し自分に近いものに思えた。
「……変ですね。辰美さんとタピオカ飲むなんて、思ってもみませんでした」
「うん……」
しばらく二人でそれを啜った。二人ともなぜ自分達がこんなところでこんなことをしているのか分かっていないようだった。
本当なら近況報告なんかして、お互いのことが知りたいはずなのに、「他人」になってしまったせいでなかなか聞けない。
やがて、美夜よりも早く飲み切ってしまった辰美が言った。
「付き合わせてすみませんでした」
もう帰るのだろうか。それが嫌でチミチミタピオカを啜っていたというのに。
もし今日別れたら、また辰美に会うことは出来るだろうか。これでさよならなんてことになったら、どうすればいいのだろう。このままお別れなんて嫌だ。
美夜が必死に見つめていると、辰美はなにか思ったように宙を見つめた。
「……美夜さんは、明日も仕事ですか?」
「いえ、しご────あ」
ない、と答えたいところだが、明日は打ち合わせが一件入っている。この時ほど仕事を恨んだことはない。
いや、辰美はただ聞いただけかもしれない。意味はなかったのかも。
「打ち合わせが……お昼に、あります」
がっくりと答える。
「なら、また夜に食事に行きませんか」
思い切り顔を上げた。願ってもない誘いだ。
「行きます」
「分かりました。じゃあ、どこかお店を予約しておきます。なんでも大丈夫ですか」
「はい……」
「じゃあ、今日は解散しましょう。俺も明日は仕事ですから」
二人で駅に向かった。辰美はJRに乗る。美夜はメトロだ。別れ道で意味深に視線を交わした。
「じゃあ、私はこっちなので……あの、連絡は────」
「変わってません。前と同じ番号で────」
言った後、辰美は気まずそうな顔をした。
「……大丈夫です。知ってますから」
そう答えると、安心したように笑った。
「じゃあ、《《また》》」
しばらく、綺麗な姿勢で歩く辰美の後ろ姿を眺めた。人混みに見えていく彼を眺めながら、美夜は「どうしよう」と呟く。
夢だろうか。こんな夢、嬉しすぎて死んでしまいそうだ。今なら百曲メドレーを弾けと言われても出来る気がする。
夢じゃない。お腹の中にはしっかりと、さっき飲んだばかりのタピオカが残っているのだから。
「辰美さんは……今も同じ会社で、お仕事を?」
「はい。この間部長になったところです」
「すごいですね」
「上司が退職して、それで繰り上げになっただけですよ」
辰美は謙遜するが、それだけでなれるものではないだろう。元妻が会社に嫌がらせしていたと言っていたが、事態は治ったようだ。美夜はホッとした。
「最近……」
辰美はふと立ち止まると、道の脇にあった店を見た。台湾のタピオカドリンクの店だ。
「タピオカが流行ってるって聞いたんですが」
辰美が突然タピオカの話を始めたので美夜は驚いた。なぜ急にタピオカなのだろう。
「いえ……流行ってたのは何年か前のことだと思います、けど……」
「……そうなんですか?」
「ブームは続いてますから、今でもお店がありますよね。私も、たまに飲んでます」
「そうですか……どうも、やっぱり若い子の流行りには疎いな」
「飲んだことないんですか?」
「機会がなくて」
五十近い辰美がタピオカドリンクを買って飲んでいたら色んな意味で驚きだ。よほど好きか流行りに興味がなければ、買って飲むことはないだろう。
「飲んでみますか?」
特に意味はない。ただ、このまま食事もせずにぶらぶら歩いているだけだと本当にお腹が空くから、話にネタにどうかと思っただけだ。
「俺でも飲めそうなものがあれば」
「えっと……」
美夜は店の看板を眺めた。よくあるテイクアウトのみの店のようだ。看板には色々メニューが載っている。
辰美の好みは知っている。コーヒーは苦いものを飲むが、甘いものが嫌いなわけではない。しかし、甘ったるいものはあまり好まない。
「タピオカジャスミンティーとか、どうでしょう?」
「美味しいんですか」
「辰美さんは好きだと思いますよ」
いつまでも好みを覚えているなんて図々しいだろうか。辰美は気を悪くしたふうでもなく、「じゃあ、それにします」と言った。
「美夜さんは?」
「私はマンゴーが好きなので、タピオカマンゴーにします」
レジに並ぼうとすると、辰美が制した。まさか奢る気だろうか。
「大丈夫」
「でも……」
────私達は他人になったのに。それとも、歳上だから?
なんだかむくれているとレジを済ませた辰美が両手にドリンクを持ってきた。所望したタピオカマンゴーを受取り、美夜はペコリと頭を下げた。
「ありがとうございます」
口をつける。よく知っている味だが、今日はいつもより甘ったるく感じる。辰美も口をつけた。タピオカを飲んでいる辰美はなんだか可愛い。
「ああ、これぐらいさっぱりしてるなら飲めそうだ」
「どうして、突然タピオカを?」
「……なんでかな。若い子が好きって聞いたから、君もそうかもしれないと思ったのかもしれない」
あの辰美と、二人で街中で突っ立ってタピオカドリンクを飲んでいるなんて、なんだか滑稽だ。
今までは格好良くて遠い存在だった辰美が、少し自分に近いものに思えた。
「……変ですね。辰美さんとタピオカ飲むなんて、思ってもみませんでした」
「うん……」
しばらく二人でそれを啜った。二人ともなぜ自分達がこんなところでこんなことをしているのか分かっていないようだった。
本当なら近況報告なんかして、お互いのことが知りたいはずなのに、「他人」になってしまったせいでなかなか聞けない。
やがて、美夜よりも早く飲み切ってしまった辰美が言った。
「付き合わせてすみませんでした」
もう帰るのだろうか。それが嫌でチミチミタピオカを啜っていたというのに。
もし今日別れたら、また辰美に会うことは出来るだろうか。これでさよならなんてことになったら、どうすればいいのだろう。このままお別れなんて嫌だ。
美夜が必死に見つめていると、辰美はなにか思ったように宙を見つめた。
「……美夜さんは、明日も仕事ですか?」
「いえ、しご────あ」
ない、と答えたいところだが、明日は打ち合わせが一件入っている。この時ほど仕事を恨んだことはない。
いや、辰美はただ聞いただけかもしれない。意味はなかったのかも。
「打ち合わせが……お昼に、あります」
がっくりと答える。
「なら、また夜に食事に行きませんか」
思い切り顔を上げた。願ってもない誘いだ。
「行きます」
「分かりました。じゃあ、どこかお店を予約しておきます。なんでも大丈夫ですか」
「はい……」
「じゃあ、今日は解散しましょう。俺も明日は仕事ですから」
二人で駅に向かった。辰美はJRに乗る。美夜はメトロだ。別れ道で意味深に視線を交わした。
「じゃあ、私はこっちなので……あの、連絡は────」
「変わってません。前と同じ番号で────」
言った後、辰美は気まずそうな顔をした。
「……大丈夫です。知ってますから」
そう答えると、安心したように笑った。
「じゃあ、《《また》》」
しばらく、綺麗な姿勢で歩く辰美の後ろ姿を眺めた。人混みに見えていく彼を眺めながら、美夜は「どうしよう」と呟く。
夢だろうか。こんな夢、嬉しすぎて死んでしまいそうだ。今なら百曲メドレーを弾けと言われても出来る気がする。
夢じゃない。お腹の中にはしっかりと、さっき飲んだばかりのタピオカが残っているのだから。