おじさんには恋なんて出来ない
一ヶ月前から予約していたMIYAのライブは、以前と同じライブハウスなのに、妙に緊張した。あれからMIYAのことが頭から離れなくて、気が付いたら妙な妄想ばかりしている。
────まさか、本当に彼女のことが好きになったんじゃないだろうな?
ソワソワしながら開演を待っていると、辰美はふとそんなことを思った。
だが、いや。とすぐ否定モードに入る。人生の半分が終わった男が一体何を考えているのか。
MIYAは素晴らしい女性だが、「女性」として見ているわけではない。ただ、憧れているだけだ。
────じゃあなんで彼女のことが頭から離れないんだ?
────あのピアノだって、そんなに高くなければ買うつもりだったんじゃないのか?
────彼女のことが好きなんじゃないか?
自分の中で自問自答が止まらない。気が付いたら開演の音楽が鳴って、袖口からMIYAが出て来ていた。
そしてまた、やっぱり綺麗だなあと辰美は思った。
今日のMIYAは紺のワンピースを着ている。大人っぽい色がよく似合う子だな、とついジロジロ見てしまった。
しかし、姿ばかり見ているせいかせっかくの演奏がなかなか耳に入ってこない。今演奏している曲は知った曲だが、MIYAを見つめていると胸の奥が掴まれるような感覚がして変な感じだった。
本当に恋をしたのか、自分では分からなかった。
なにせ、こんなことは久しぶりだ。雪美の時もこんなふうには感じなかった。思えば受け身な恋愛しかしてこなかったのだろう。
結局ボケっとしたままライブは終わった。
せっかく来たのに最悪だ────。
辰美はせめて挨拶だけはと思って物販に並んだものの、待っている間もやはり居心地が悪い。何を言えばいいのか。どう話そうか。プレゼンの時だってこんなに緊張しないのに、らしくない。
やがて辰美の番が来た。
「こんばんは。今日はありがとうございます」
列の一番最後だったから気にせず喋れる。しかし、いつもならどの曲がよかったか伝えるが、言葉が出てこない。緊張しているせいか、MIYAを前にしているからか、自分の顔がニヤけていないか、赤らんでいないか、変なところばかりが気になってしまう。
「あの、日向さん……?」
「……っあ、すみません」
「今日の演奏、あんまりでしたか……?」
見ればMIYAが不安そうな顔で見上げていた。
辰美は何を馬鹿なことをしているんだ、と自分に呆れた。真面目に聞いていないなんて、真剣に演奏していたMIYAに失礼だ。
「い、いえ。そうじゃないんです。ちょっと、会社の飲み会のせいでまだ気分が悪くて」
心の中で上坂に謝った。だが、嘘も方便だ。
「大丈夫ですか。あまり無理をしないでくださいね」
嘘をついたことを申し訳ないと思ったが、心配されたせいか罪悪感は簡単に消えた。薄っぺらい罪悪感だ。
「あの、六本木に『ジャルダン』っていうピアノの演奏が聴けるお店があるそうなんです。MIYAさんはご存知ですか」
そうだ、と思いMIYAに尋ねた。有野に聞いた情報をそっくりそのまま伝えただけだが、感想も何も言えなかったので、せっかくだから何か話したかった。決して、誘いたいとかそんなことは思っていない。
「そういうお店があるんですか? 知りませんでした」
「私も会社の女性から聞いただけなので行ったことはないんですが、ピアノの演奏が聴けるので、もしかしたら知っているかなと思ったんです」
「素敵ですね。是非行ってみたいです。でも、私はそういう場所に行く人がいないので……」
それは恋人がいないという意味だろうか。辰美は勝手にチャンスだ、と思った。
いや、誘ったからといってMIYAが来るとは限らない。そもそも、ファンがアーティストを個人的に誘うのはよくないはずだ。最悪断られてライブも行けなくなってしまう。誘いたい思いはあるが、それが躊躇させた。
MIYAは少し辺りを見て、ややはにかみながら告げた。
「日向さんみたいな方と行けたら、楽しそうですね」
────これは俺じゃなくても勘違いしそうだな。
一度冷静になった頭がまた舞い上がり始める。MIYAは一体どういうつもりなのだろうか。
こんなことをファン全員に言っているのか。いや、MIYAは真面目な女性だ。そんなことはしないだろう。では一体どういうつもりなのか。
懐かしい思いだった。女性を誘うときの高揚感。胸の高鳴りも、なんだか昔に戻ったみたいだ。
やはり、自分はMIYAに対し特別な感情を抱いている。それは憧れとは別物だ。
「もし、MIYAさんがよければ……一緒にいかがですか」
そんな感情につい乗せられての発言だった。理性だとか良識なんてものはどこかへ消えていた。
「……いいんですか?」
やがてMIYAが伺うような瞳で見上げて、辰美は幻聴でも聞こえたのかと思った。嘘を言っているようには聞こえない。冗談だとしたらタチが悪いが、MIYAの様子はそんなふうではない。
確認するようにもう一度言った。
「MIYAさんさえよければ、是非」
MIYAは少し照れたように笑った。冗談なんかではないはずだ。「お願いします」と小さな声が聞こえて、辰美は心臓が爆発するかと思った。
────まさか、本当に彼女のことが好きになったんじゃないだろうな?
ソワソワしながら開演を待っていると、辰美はふとそんなことを思った。
だが、いや。とすぐ否定モードに入る。人生の半分が終わった男が一体何を考えているのか。
MIYAは素晴らしい女性だが、「女性」として見ているわけではない。ただ、憧れているだけだ。
────じゃあなんで彼女のことが頭から離れないんだ?
────あのピアノだって、そんなに高くなければ買うつもりだったんじゃないのか?
────彼女のことが好きなんじゃないか?
自分の中で自問自答が止まらない。気が付いたら開演の音楽が鳴って、袖口からMIYAが出て来ていた。
そしてまた、やっぱり綺麗だなあと辰美は思った。
今日のMIYAは紺のワンピースを着ている。大人っぽい色がよく似合う子だな、とついジロジロ見てしまった。
しかし、姿ばかり見ているせいかせっかくの演奏がなかなか耳に入ってこない。今演奏している曲は知った曲だが、MIYAを見つめていると胸の奥が掴まれるような感覚がして変な感じだった。
本当に恋をしたのか、自分では分からなかった。
なにせ、こんなことは久しぶりだ。雪美の時もこんなふうには感じなかった。思えば受け身な恋愛しかしてこなかったのだろう。
結局ボケっとしたままライブは終わった。
せっかく来たのに最悪だ────。
辰美はせめて挨拶だけはと思って物販に並んだものの、待っている間もやはり居心地が悪い。何を言えばいいのか。どう話そうか。プレゼンの時だってこんなに緊張しないのに、らしくない。
やがて辰美の番が来た。
「こんばんは。今日はありがとうございます」
列の一番最後だったから気にせず喋れる。しかし、いつもならどの曲がよかったか伝えるが、言葉が出てこない。緊張しているせいか、MIYAを前にしているからか、自分の顔がニヤけていないか、赤らんでいないか、変なところばかりが気になってしまう。
「あの、日向さん……?」
「……っあ、すみません」
「今日の演奏、あんまりでしたか……?」
見ればMIYAが不安そうな顔で見上げていた。
辰美は何を馬鹿なことをしているんだ、と自分に呆れた。真面目に聞いていないなんて、真剣に演奏していたMIYAに失礼だ。
「い、いえ。そうじゃないんです。ちょっと、会社の飲み会のせいでまだ気分が悪くて」
心の中で上坂に謝った。だが、嘘も方便だ。
「大丈夫ですか。あまり無理をしないでくださいね」
嘘をついたことを申し訳ないと思ったが、心配されたせいか罪悪感は簡単に消えた。薄っぺらい罪悪感だ。
「あの、六本木に『ジャルダン』っていうピアノの演奏が聴けるお店があるそうなんです。MIYAさんはご存知ですか」
そうだ、と思いMIYAに尋ねた。有野に聞いた情報をそっくりそのまま伝えただけだが、感想も何も言えなかったので、せっかくだから何か話したかった。決して、誘いたいとかそんなことは思っていない。
「そういうお店があるんですか? 知りませんでした」
「私も会社の女性から聞いただけなので行ったことはないんですが、ピアノの演奏が聴けるので、もしかしたら知っているかなと思ったんです」
「素敵ですね。是非行ってみたいです。でも、私はそういう場所に行く人がいないので……」
それは恋人がいないという意味だろうか。辰美は勝手にチャンスだ、と思った。
いや、誘ったからといってMIYAが来るとは限らない。そもそも、ファンがアーティストを個人的に誘うのはよくないはずだ。最悪断られてライブも行けなくなってしまう。誘いたい思いはあるが、それが躊躇させた。
MIYAは少し辺りを見て、ややはにかみながら告げた。
「日向さんみたいな方と行けたら、楽しそうですね」
────これは俺じゃなくても勘違いしそうだな。
一度冷静になった頭がまた舞い上がり始める。MIYAは一体どういうつもりなのだろうか。
こんなことをファン全員に言っているのか。いや、MIYAは真面目な女性だ。そんなことはしないだろう。では一体どういうつもりなのか。
懐かしい思いだった。女性を誘うときの高揚感。胸の高鳴りも、なんだか昔に戻ったみたいだ。
やはり、自分はMIYAに対し特別な感情を抱いている。それは憧れとは別物だ。
「もし、MIYAさんがよければ……一緒にいかがですか」
そんな感情につい乗せられての発言だった。理性だとか良識なんてものはどこかへ消えていた。
「……いいんですか?」
やがてMIYAが伺うような瞳で見上げて、辰美は幻聴でも聞こえたのかと思った。嘘を言っているようには聞こえない。冗談だとしたらタチが悪いが、MIYAの様子はそんなふうではない。
確認するようにもう一度言った。
「MIYAさんさえよければ、是非」
MIYAは少し照れたように笑った。冗談なんかではないはずだ。「お願いします」と小さな声が聞こえて、辰美は心臓が爆発するかと思った。