おじさんには恋なんて出来ない
 家に帰ると寂しい空間が広がっていた。音のない空間。

 辰美の足は自然と、ベッドルームへ向かっていた。妻と浮気相手が寝ていたベッドが置かれている部屋。離婚以来入ることのなかった部屋だ。

 しかし、扉に手をかけた瞬間得体の知れない気持ち悪さが襲って弾かれるようにドアノブから手を引く。

 やはり、無理だ。あれから何度か入ろうと思ったが、出来なかった。

 ここに入ろうと思ったのは、この雑念を払いたかったからだ。嫌な記憶があればMIYAのことを忘れられると思った。

 だがそもそも、それ以前の問題だったようだ。

 リビングの方で音が鳴った。スマホの音だ。通知音は一度だけ鳴ると、再び静かになった。

 辰美はダイニングテーブルの上に置いていたスマホを手に取った。画面には、『ミヤ』の二文字が表示されている。そして、その下にメッセージの本文が。

 本文はすでにある程度見えている。だから今更、なかったことには出来なかった。なんとなくためらいながらも画面をタップし、ロックを解除する。

『お久しぶりです。今日はストリートを聴きにきてくださってありがとうございました。日向さんにお話ししたことがあります。どこかでお時間いただけないでしょうか。お返事お待ちしています』

 やや硬めの文章からは緊張が伝わってきた。辰美も思わずスマホを握る手に力が込もる。

 ────返事を返したら駄目だ。

 分かってはいたが、自分の手は、そう考えていない。もう文字を打つ態勢に入っている。わざわざ自分を呼び出してまでMIYAが何を言おうとしているのか。うっすら分かっていたからかも知れない。

 心底勘違いだと思っていないから、こうして返事を書こうとしている。

 ────本当にいいのか?
 ────俺は歳が離れすぎてる。お父さんですか、なんて言われたくない。
 ────第一離婚してる身で恋愛なんてできない。
 ────ファンでいる方がずっと楽だ。

 言い訳をいくつもしてなんとか踏み止まろうとする。だが、それよりもMIYAの声を聞きたいという感情の方が優った。

 返事はできるだけ短くした。相手に自分の気持ちを悟られないように。

 だが、それもあまり意味はなかった。またMIYAから返事がきて、薄っぺらい決心は簡単に崩れ去った。
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