おじさんには恋なんて出来ない
もやもやした気持ちを持ち越したくないからと、翌日の夕方約束した。
辰美は仕事が終わるとその場所へ向かった。
待ち合わせの場所はできるだけ人が少ない場所のほうがファンに見つからないだろうと公園を選んだ。人はいるが、駅前ほどではない。知り合いに会う確率は低いだろう。
木々の間を抜けていくといくつかベンチがあった。MIYAはそこに座っていた。やはり冗談ではなかったのだ、と辰美は緊張した。
「昨日は、来てくださってありがとうございます」
辰美の姿を見つけると、MIYAはベンチから立ち上がり、一度頭を下げた。
「……たまたま、通りかかったんだ」
「それでも……嬉しいです」
頼りなさげな笑みだ。申し訳ないという気持ちが伝わってくる。
────それで、話ってなんだ? 早く終わらせて早く帰らなければならないのに言い出せない。MIYAの真剣な瞳を見ていると言いたいことがどこかへ消えてしまう。
「日向さん。私が……あの時言ったこと、覚えていますか」
あの時。それはこの間出かけた時のことだ。多分、絶対。
もちろん覚えていた。だからこんなに戸惑っているのだ。
「あなたのことを知りたいと思った気持ちは本当です。迷惑だと思います。でも、ちゃんと伝えておきたくて……」
やはり、気のせいではなかったのだ。
MIYAは、自分に対し《《そういう気持ち》》を抱いていた。一体いつからだ? なぜこんな自分を────。
次から次へと湧き上がる疑問を押し殺し、辰美は冷静になるよう努めた。真に受けるべきではない。いくら彼女がそう思っていても、周りはそう思わないだろう。MIYAが不幸になるだけだ。
「……俺はおじさんだよ。それに君よりもずっと歳上だ。釣り合わない。あえてこんな年上を選ぶ必要なんてない。若くて格好いい男はたくさんいるんだ」
「私は若いとか格好いいとか、そんなこと気にしてるわけじゃありません。日向さんのことが────日向さんと一緒にいて心地いいから、一緒にいたいんです」
「けど、世間的に見れば俺はおじさんだ。君みたいな綺麗で若い女性を好きになるなんて、いけないことだ。それに俺は離婚してるし……」
「じゃあ、バツイチは幸せになる権利はないっていうんですか?」
MIYAの声が怒気を孕む。そんなことはない、と答えたかったが答えられなかった。ずっとそう思っていたからだ。
「失敗することなんて誰でもあります。私の人生だって、失敗だって色んな人に散々言われました! 売れもしないのに音楽なんて、って。音大も出てないのにって。でも他人にそんなこと決める権利はありません。自分の幸せは自分が決めるんですよ」
MIYAは一歩も引く気がなさそうだ。こんな歳上の男が歳下の女性に諭されているなんてなんだか格好悪い。
しかしこれだけ説得されてもまだ心のどこかで引き留める自分がいる。きっと完全に消すことは難しいだろう。歳の差は埋めようがないし、離婚歴も消えない。
ただ、女性にここまで言われて逃げ腰でいるほど情けなくはない。この危険な恋愛に興味が湧いているからだろうか。
「日向さんは……私のこと嫌いですか……?」
「そんなわけないだろう。好きに決まってる。けど、君ぐらいの歳の子を相手にしたことがないから正直どうしたらいいか分からないんだ」
つい本心を言ってしまい、辰美は咳払いをして誤魔化した。MIYAはようやくほっとした顔をした。
「普通の女の人と一緒ですよ」
「……俺みたいなおじさんのどこがいいんだ?」
「おじさんだとかそんなことはどうでもいいんです。私は日向さんだから好きになったんです」
MIYAの足が一歩近づく。
「どうして幸せになることを怖がるんですか。日向さんは十分素敵な人です。何も悪くありません」
「俺は……妻を幸せにできず離婚したんだ。君には相応しくない」
「……幸せって、誰かにしてもらうものじゃないと思います。自分自身で幸せを見つけないといけないんじゃないでしょうか」
何かの本で読んだことがある。幸せは自分の心が決めるのだと。誰かに決められるものではないのだと。
もしそうなら、不幸も自分で選択していることになる。誰も人生の責任を取ってはくれない。だから自分で選ぶしかないのだ。幸せも、不幸も。
「不幸になるかどうかは、やってみないと分かりません」
幸せになってもいいのだろうか。思うままに行動してもいいのだろうか。また失敗するかもしれない。誰かを不幸にするかもしれない。
けれどいつの間にか、「できないだろう」という気持ちは「できるかもしれない」気持ちに変わっていた。こんな自分でも変われるのかもしれない。もしかしたら、これは神様がくれたチャンスなのかもしれない。
「もしご迷惑じゃないなら……私と付き合ってもらえませんか」
やがてMIYAが口を開いた。堂々とした態度で、少しも後悔しているようには見えない。
最初から最後まで言われっぱなしだ。ここは腹を括って、本音を言うべきだ。ここまで歳上だおじさんだと言ってきたのだから、少しは歳上らしいところを見せなくては。
「こんな俺でいいなら……是非よろしく頼むよ。いや、なんだか仕事みたいだな……」
MIYAは照れたように笑みを溢した。そして鞄の中から小さな紙袋を差し出した。見覚えのある紙袋だ。
「これ、実は日向さんに買ったんです」
「え?」
「ごめんなさい……ピアノの先生にっていうのは、嘘なんです。どうしても日向さんを誘いたくて」
まるで気が付かなかった。買い物している間そのピアノ講師を羨ましく思ったが、それがまさか自分だったなんて。
MIYAはなんだかバツが悪そうだが、そんな嘘なら大歓迎だ。
辰美は紙袋を受け取った。彼女の気持ちが伝わってきたなんだか嬉しかった。
離婚した自分にこんな機会が巡って来ようとは思いもしなかった。今日はずいぶん出来すぎた一日だ。ドッキリが仕掛けられているんじゃないかと思うぐらい。
それを確かめるためにもう一度MIYAを見つめた。MIYAは今更恥ずかしそうに顔を背けた。嘘ではない。本当の一日だった。
辰美は仕事が終わるとその場所へ向かった。
待ち合わせの場所はできるだけ人が少ない場所のほうがファンに見つからないだろうと公園を選んだ。人はいるが、駅前ほどではない。知り合いに会う確率は低いだろう。
木々の間を抜けていくといくつかベンチがあった。MIYAはそこに座っていた。やはり冗談ではなかったのだ、と辰美は緊張した。
「昨日は、来てくださってありがとうございます」
辰美の姿を見つけると、MIYAはベンチから立ち上がり、一度頭を下げた。
「……たまたま、通りかかったんだ」
「それでも……嬉しいです」
頼りなさげな笑みだ。申し訳ないという気持ちが伝わってくる。
────それで、話ってなんだ? 早く終わらせて早く帰らなければならないのに言い出せない。MIYAの真剣な瞳を見ていると言いたいことがどこかへ消えてしまう。
「日向さん。私が……あの時言ったこと、覚えていますか」
あの時。それはこの間出かけた時のことだ。多分、絶対。
もちろん覚えていた。だからこんなに戸惑っているのだ。
「あなたのことを知りたいと思った気持ちは本当です。迷惑だと思います。でも、ちゃんと伝えておきたくて……」
やはり、気のせいではなかったのだ。
MIYAは、自分に対し《《そういう気持ち》》を抱いていた。一体いつからだ? なぜこんな自分を────。
次から次へと湧き上がる疑問を押し殺し、辰美は冷静になるよう努めた。真に受けるべきではない。いくら彼女がそう思っていても、周りはそう思わないだろう。MIYAが不幸になるだけだ。
「……俺はおじさんだよ。それに君よりもずっと歳上だ。釣り合わない。あえてこんな年上を選ぶ必要なんてない。若くて格好いい男はたくさんいるんだ」
「私は若いとか格好いいとか、そんなこと気にしてるわけじゃありません。日向さんのことが────日向さんと一緒にいて心地いいから、一緒にいたいんです」
「けど、世間的に見れば俺はおじさんだ。君みたいな綺麗で若い女性を好きになるなんて、いけないことだ。それに俺は離婚してるし……」
「じゃあ、バツイチは幸せになる権利はないっていうんですか?」
MIYAの声が怒気を孕む。そんなことはない、と答えたかったが答えられなかった。ずっとそう思っていたからだ。
「失敗することなんて誰でもあります。私の人生だって、失敗だって色んな人に散々言われました! 売れもしないのに音楽なんて、って。音大も出てないのにって。でも他人にそんなこと決める権利はありません。自分の幸せは自分が決めるんですよ」
MIYAは一歩も引く気がなさそうだ。こんな歳上の男が歳下の女性に諭されているなんてなんだか格好悪い。
しかしこれだけ説得されてもまだ心のどこかで引き留める自分がいる。きっと完全に消すことは難しいだろう。歳の差は埋めようがないし、離婚歴も消えない。
ただ、女性にここまで言われて逃げ腰でいるほど情けなくはない。この危険な恋愛に興味が湧いているからだろうか。
「日向さんは……私のこと嫌いですか……?」
「そんなわけないだろう。好きに決まってる。けど、君ぐらいの歳の子を相手にしたことがないから正直どうしたらいいか分からないんだ」
つい本心を言ってしまい、辰美は咳払いをして誤魔化した。MIYAはようやくほっとした顔をした。
「普通の女の人と一緒ですよ」
「……俺みたいなおじさんのどこがいいんだ?」
「おじさんだとかそんなことはどうでもいいんです。私は日向さんだから好きになったんです」
MIYAの足が一歩近づく。
「どうして幸せになることを怖がるんですか。日向さんは十分素敵な人です。何も悪くありません」
「俺は……妻を幸せにできず離婚したんだ。君には相応しくない」
「……幸せって、誰かにしてもらうものじゃないと思います。自分自身で幸せを見つけないといけないんじゃないでしょうか」
何かの本で読んだことがある。幸せは自分の心が決めるのだと。誰かに決められるものではないのだと。
もしそうなら、不幸も自分で選択していることになる。誰も人生の責任を取ってはくれない。だから自分で選ぶしかないのだ。幸せも、不幸も。
「不幸になるかどうかは、やってみないと分かりません」
幸せになってもいいのだろうか。思うままに行動してもいいのだろうか。また失敗するかもしれない。誰かを不幸にするかもしれない。
けれどいつの間にか、「できないだろう」という気持ちは「できるかもしれない」気持ちに変わっていた。こんな自分でも変われるのかもしれない。もしかしたら、これは神様がくれたチャンスなのかもしれない。
「もしご迷惑じゃないなら……私と付き合ってもらえませんか」
やがてMIYAが口を開いた。堂々とした態度で、少しも後悔しているようには見えない。
最初から最後まで言われっぱなしだ。ここは腹を括って、本音を言うべきだ。ここまで歳上だおじさんだと言ってきたのだから、少しは歳上らしいところを見せなくては。
「こんな俺でいいなら……是非よろしく頼むよ。いや、なんだか仕事みたいだな……」
MIYAは照れたように笑みを溢した。そして鞄の中から小さな紙袋を差し出した。見覚えのある紙袋だ。
「これ、実は日向さんに買ったんです」
「え?」
「ごめんなさい……ピアノの先生にっていうのは、嘘なんです。どうしても日向さんを誘いたくて」
まるで気が付かなかった。買い物している間そのピアノ講師を羨ましく思ったが、それがまさか自分だったなんて。
MIYAはなんだかバツが悪そうだが、そんな嘘なら大歓迎だ。
辰美は紙袋を受け取った。彼女の気持ちが伝わってきたなんだか嬉しかった。
離婚した自分にこんな機会が巡って来ようとは思いもしなかった。今日はずいぶん出来すぎた一日だ。ドッキリが仕掛けられているんじゃないかと思うぐらい。
それを確かめるためにもう一度MIYAを見つめた。MIYAは今更恥ずかしそうに顔を背けた。嘘ではない。本当の一日だった。