おじさんには恋なんて出来ない
終業後、スーパーか百貨店に寄るのが辰美の日課になった。
雪美と離婚してから、自分で食事を作るようになった。料理はできるし一人暮らしをして自炊していたこともある。
だが、雪美が立っていたキッチンで料理をすると嫌なことを思い出してしまうので、しばらく出来合いのものに頼っていた。安い上自分が作るより遥かに美味しいのだから利用しない手はない。
適当に惣菜を買うと、久しぶりに渋谷駅周辺をうろついた。家具屋に行ってベッドを買おうと思った。
自宅にはベッドがあるが、あの出来事を見て以来、なんだかそこで寝る気が失せて、ずっとソファで寝ていた。雪美が男と何度も寝ていたかと思うととてもじゃないが使う気にはなれなかった。
しかし、今まで気を配らなかったからか、センスがないからか、どうにも選べない。店員はお薦めをいくつか紹介してくれたが、値段も値段だったので考えると言って店を出た。
────いずれはあの部屋も出ないとな。
不動産屋の看板を見ながら、辰美はため息をついた。
まだまだ住めるマンションだが、このまま住めるほど自図太い神経ではない。正直、毎日帰るのが億劫だった。
引っ越すならもっと会社の近くにして、雪美の実家から離れる方がいいだろう。雪美だって、自分の顔など見たくないに決まっている。
しかし、四十過ぎて離婚するなど夢にも思わなかった。
それほど将来のことを考えているわけではなかったが、一人になるとふと気になり始める。自分はこのまま一人で一生を終えるのか。誰にも看取られないまま死んでいくのか。
そう思うと、今まで何一つ不満のなかった人生がとてもつまらないものに思えてきた。
道玄坂まで歩いて、辰美はふと立ち止まった。大型モニターから流れる広告や騒がしい。ざわざわと人の声と信号の音。それに混じってピアノの音が聞こえた。
広告のBGMにしては綺麗な、済んだ音色だった。だがそれは通行人の足を止めようとするよりも、むしろ不思議と馴染んでいた。雑踏の中に溶け込んでいた。
なんとなく当たりを見回すとその音の主はすぐに見つかった。信号を渡ってすぐ、割と目立った位置にいた。
ストリートミュージシャンだ。いや、ピアニストと言った方がいいだろうか。
黒い鍵盤を叩く指先は力強く、一歩近づくごとに迫力が伝わってくる。辰美は思わずそちらに近づいた。
そのピアニストの前には人だかりができていた。大体十、十五人ほどだ。
人だかりの中を覗き込むと、ピアノの後ろに女性が立っていた。若い女性だった。大人っぽい顔立ちだが、歳は二十代ぐらいに見える。
しかも、かなりの美人だ。だからか、周りにいる人だかりのほとんどは男性だった。
まるでアイドルみたいだな。と思いながら電子ピアノの前に置かれたイーゼルに立てかけられた看板を見る。
『MIYA』と大きな文字で書かれていた。これがあの女性の活動名だろうか。おそらく読み方はミヤで合っているはずだ。
ミヤは次々と知らない曲を弾き始めた。聞いたことのないメロディーばかりだが、不思議と退屈しない。
辰美は音楽に詳しくなかったが、素晴らしい腕前だと思った。こんなところで弾いているぐらいだからプロではないのかもしれない。だが、プロだと思った。
普段は音楽を聞かない。雪美はうるさいのが嫌いだったので家の中でもテレビを見る以外は音楽を流したことがなかったし、辰美自身特に興味も持たなかった。
だが、この演奏は引き込まれた。
雪美と離婚してから、自分で食事を作るようになった。料理はできるし一人暮らしをして自炊していたこともある。
だが、雪美が立っていたキッチンで料理をすると嫌なことを思い出してしまうので、しばらく出来合いのものに頼っていた。安い上自分が作るより遥かに美味しいのだから利用しない手はない。
適当に惣菜を買うと、久しぶりに渋谷駅周辺をうろついた。家具屋に行ってベッドを買おうと思った。
自宅にはベッドがあるが、あの出来事を見て以来、なんだかそこで寝る気が失せて、ずっとソファで寝ていた。雪美が男と何度も寝ていたかと思うととてもじゃないが使う気にはなれなかった。
しかし、今まで気を配らなかったからか、センスがないからか、どうにも選べない。店員はお薦めをいくつか紹介してくれたが、値段も値段だったので考えると言って店を出た。
────いずれはあの部屋も出ないとな。
不動産屋の看板を見ながら、辰美はため息をついた。
まだまだ住めるマンションだが、このまま住めるほど自図太い神経ではない。正直、毎日帰るのが億劫だった。
引っ越すならもっと会社の近くにして、雪美の実家から離れる方がいいだろう。雪美だって、自分の顔など見たくないに決まっている。
しかし、四十過ぎて離婚するなど夢にも思わなかった。
それほど将来のことを考えているわけではなかったが、一人になるとふと気になり始める。自分はこのまま一人で一生を終えるのか。誰にも看取られないまま死んでいくのか。
そう思うと、今まで何一つ不満のなかった人生がとてもつまらないものに思えてきた。
道玄坂まで歩いて、辰美はふと立ち止まった。大型モニターから流れる広告や騒がしい。ざわざわと人の声と信号の音。それに混じってピアノの音が聞こえた。
広告のBGMにしては綺麗な、済んだ音色だった。だがそれは通行人の足を止めようとするよりも、むしろ不思議と馴染んでいた。雑踏の中に溶け込んでいた。
なんとなく当たりを見回すとその音の主はすぐに見つかった。信号を渡ってすぐ、割と目立った位置にいた。
ストリートミュージシャンだ。いや、ピアニストと言った方がいいだろうか。
黒い鍵盤を叩く指先は力強く、一歩近づくごとに迫力が伝わってくる。辰美は思わずそちらに近づいた。
そのピアニストの前には人だかりができていた。大体十、十五人ほどだ。
人だかりの中を覗き込むと、ピアノの後ろに女性が立っていた。若い女性だった。大人っぽい顔立ちだが、歳は二十代ぐらいに見える。
しかも、かなりの美人だ。だからか、周りにいる人だかりのほとんどは男性だった。
まるでアイドルみたいだな。と思いながら電子ピアノの前に置かれたイーゼルに立てかけられた看板を見る。
『MIYA』と大きな文字で書かれていた。これがあの女性の活動名だろうか。おそらく読み方はミヤで合っているはずだ。
ミヤは次々と知らない曲を弾き始めた。聞いたことのないメロディーばかりだが、不思議と退屈しない。
辰美は音楽に詳しくなかったが、素晴らしい腕前だと思った。こんなところで弾いているぐらいだからプロではないのかもしれない。だが、プロだと思った。
普段は音楽を聞かない。雪美はうるさいのが嫌いだったので家の中でもテレビを見る以外は音楽を流したことがなかったし、辰美自身特に興味も持たなかった。
だが、この演奏は引き込まれた。