おじさんには恋なんて出来ない
第十話 嵐の予感
「ありがとうございました。ごゆっくりお過ごしください」
釣り銭を渡しながら美夜はニンマリと微笑んだ。少々笑いすぎたと思いながらも、緩む口元を抑えられない。
「どうしたの? そんなにニヤニヤして」
不思議そうに詩音が言った。
「まあ、ちょっと……」
「あ、もしかしてこの間言ってた歳上彼氏?」
大当たりだ。美夜は一層笑みを浮かべた。
結局、辰美とは何もなかった。いや、何もなかったわけではないが、美夜にとっては十分素敵なことがあった。
あれ以来、美夜は辰美に要求しすぎることをやめた。当たり前に思っていたことも、相手のことを考えなければならないのだと知った。
辰美のことが大事なら待つべきだ。彼の中の傷が癒えるように新しい思い出を作ろうと決めた。
「実は、彼の家に泊まりまして」
「えっマジで。どうだった?」
「優しかったよ」
それは別に、そういう行為のことではない。辰美の行動が、と言う意味だ。家の外と中で態度が変わる男性もいるというが、やっぱり辰美は優しい人だった。
いつも気遣ってくれて、穏やかで優しい。たまには気が強いところも見てみたい気がするが────。
詩音はどうやら誤解したらしい。感心しているんだか困惑しているんだか分からない顔で頷いた。
「さすが歳上……熟年の技ってやつね」
「そういうんじゃ────」
店の自動扉が開いた。美夜と詩音は瞬時に切り替え、扉の方に向かって挨拶をした。
「いらっしゃいませ」
だが、美夜は声を発したと同時に驚いた。自動扉から入ってきたのは辰美だった。
「た、辰美さん……!?」
「こんにちは」
辰美は驚く美夜をよそに爽やかな笑みを返す。
一体どういうことだろうか。店の場所は随分前に教えていたが、今日来るなんて聞いていない。今日来るならもっとちゃんと化粧をしたのに。
緊張してうまく言葉が出てこない。いつもならすらすら喋っているのに、辰美相手だからだろうか。
「え、えっと……何か、頼みますか」
ちょうどモーニングの時間帯だ。辰美は出勤前に寄ったのだろう。
「じゃあ……アイスラテと、これで」
ショーケースに置かれたサンドイッチを指さす。
「あのっ私奢りますから!」
「いいよ。突然来たし、俺の朝ごはんだから。今日も昼前まで?」
「はい……」
「そうか。あんまり無理しないように」
美夜はふと、視線を感じた。見れば詩音が穴が開きそうなほど辰美を見ている。その瞳は「おじさん」を見る目ではない。
辰美もその視線に気付いたのか、詩音に軽く会釈をした。
「こんにちは、日向です。美夜さんからいつも話を聞いてます」
「あっ、いえ! こちらこそいつもお世話になってます!」
詩音も緊張したのか声が裏返る。二人で気まずい顔をしながら顔を見合わせると、辰美はおかしそうにクスクス笑った。
美夜は慌てて袋の中にアイスラテとサンドイッチを詰めた。ピアノ以外はできない女だなんて思われたくない。既に思われているかもしれないが。
「ありがとう」
「あの……お仕事、頑張ってください」
「うん。君もね」
辰美は店から去った。自動扉が閉まるとともに、美夜はまた詩音と顔を見合わせ、口を開いた。
「イケメン!」
「でしょ!?」
どうやら、詩音はお気に召したらしい。元々辰美の容姿は悪くない。詩音の好きなアイドルほどでないにしろ、十分若く見えるし整った顔立ちをしている。気にいると分かっていた。
「あれは予想外だったわ……うん。あれは惚れる」
詩音はうんうん頷く。
「ね? 全然おじさんっぽくないでしょう?」
「四十代って言ってなかった?」
「四十二」
「あれで?」
美夜は誇らしかった。辰美が褒められると、なんだか嬉しい。辰美は自分のことをおじさんだと思っているが、本当はそんなことないのだ。
「いい感じの人だね。礼儀正しいし、あれなら全然オッケー」
「でしょう?」
「でも、美夜ちゃんデレデレしすぎ」
「詩音ちゃんだってしてたじゃない」
「だって突然だったもの。でもさ、あんな感じの人、ファンの中だと浮くんじゃない? 大丈夫?」
その「大丈夫?」はファンにバレないの? という意味だろう。確かに、あまり近づき過ぎると妙に思われるかもしれない。
だが辰美は距離に気を付けているようだし、物販の会話も短めだ。バレて問題になることはないように思う。
「あの人はともかく、今の美夜ちゃんだとファンが気付くと思うよ。格好いい彼氏ができて喜ぶのは分かるけど、ちょっと気を付けなよ」
刺されるよ。とサラリと恐ろしい言葉を吐く。美夜はごくりと息を飲み込んだ。
確かに、バレるとしたら自分からかもしれない。これからは気を付けなければ、辰美に迷惑をかけてしまうことになる。
釣り銭を渡しながら美夜はニンマリと微笑んだ。少々笑いすぎたと思いながらも、緩む口元を抑えられない。
「どうしたの? そんなにニヤニヤして」
不思議そうに詩音が言った。
「まあ、ちょっと……」
「あ、もしかしてこの間言ってた歳上彼氏?」
大当たりだ。美夜は一層笑みを浮かべた。
結局、辰美とは何もなかった。いや、何もなかったわけではないが、美夜にとっては十分素敵なことがあった。
あれ以来、美夜は辰美に要求しすぎることをやめた。当たり前に思っていたことも、相手のことを考えなければならないのだと知った。
辰美のことが大事なら待つべきだ。彼の中の傷が癒えるように新しい思い出を作ろうと決めた。
「実は、彼の家に泊まりまして」
「えっマジで。どうだった?」
「優しかったよ」
それは別に、そういう行為のことではない。辰美の行動が、と言う意味だ。家の外と中で態度が変わる男性もいるというが、やっぱり辰美は優しい人だった。
いつも気遣ってくれて、穏やかで優しい。たまには気が強いところも見てみたい気がするが────。
詩音はどうやら誤解したらしい。感心しているんだか困惑しているんだか分からない顔で頷いた。
「さすが歳上……熟年の技ってやつね」
「そういうんじゃ────」
店の自動扉が開いた。美夜と詩音は瞬時に切り替え、扉の方に向かって挨拶をした。
「いらっしゃいませ」
だが、美夜は声を発したと同時に驚いた。自動扉から入ってきたのは辰美だった。
「た、辰美さん……!?」
「こんにちは」
辰美は驚く美夜をよそに爽やかな笑みを返す。
一体どういうことだろうか。店の場所は随分前に教えていたが、今日来るなんて聞いていない。今日来るならもっとちゃんと化粧をしたのに。
緊張してうまく言葉が出てこない。いつもならすらすら喋っているのに、辰美相手だからだろうか。
「え、えっと……何か、頼みますか」
ちょうどモーニングの時間帯だ。辰美は出勤前に寄ったのだろう。
「じゃあ……アイスラテと、これで」
ショーケースに置かれたサンドイッチを指さす。
「あのっ私奢りますから!」
「いいよ。突然来たし、俺の朝ごはんだから。今日も昼前まで?」
「はい……」
「そうか。あんまり無理しないように」
美夜はふと、視線を感じた。見れば詩音が穴が開きそうなほど辰美を見ている。その瞳は「おじさん」を見る目ではない。
辰美もその視線に気付いたのか、詩音に軽く会釈をした。
「こんにちは、日向です。美夜さんからいつも話を聞いてます」
「あっ、いえ! こちらこそいつもお世話になってます!」
詩音も緊張したのか声が裏返る。二人で気まずい顔をしながら顔を見合わせると、辰美はおかしそうにクスクス笑った。
美夜は慌てて袋の中にアイスラテとサンドイッチを詰めた。ピアノ以外はできない女だなんて思われたくない。既に思われているかもしれないが。
「ありがとう」
「あの……お仕事、頑張ってください」
「うん。君もね」
辰美は店から去った。自動扉が閉まるとともに、美夜はまた詩音と顔を見合わせ、口を開いた。
「イケメン!」
「でしょ!?」
どうやら、詩音はお気に召したらしい。元々辰美の容姿は悪くない。詩音の好きなアイドルほどでないにしろ、十分若く見えるし整った顔立ちをしている。気にいると分かっていた。
「あれは予想外だったわ……うん。あれは惚れる」
詩音はうんうん頷く。
「ね? 全然おじさんっぽくないでしょう?」
「四十代って言ってなかった?」
「四十二」
「あれで?」
美夜は誇らしかった。辰美が褒められると、なんだか嬉しい。辰美は自分のことをおじさんだと思っているが、本当はそんなことないのだ。
「いい感じの人だね。礼儀正しいし、あれなら全然オッケー」
「でしょう?」
「でも、美夜ちゃんデレデレしすぎ」
「詩音ちゃんだってしてたじゃない」
「だって突然だったもの。でもさ、あんな感じの人、ファンの中だと浮くんじゃない? 大丈夫?」
その「大丈夫?」はファンにバレないの? という意味だろう。確かに、あまり近づき過ぎると妙に思われるかもしれない。
だが辰美は距離に気を付けているようだし、物販の会話も短めだ。バレて問題になることはないように思う。
「あの人はともかく、今の美夜ちゃんだとファンが気付くと思うよ。格好いい彼氏ができて喜ぶのは分かるけど、ちょっと気を付けなよ」
刺されるよ。とサラリと恐ろしい言葉を吐く。美夜はごくりと息を飲み込んだ。
確かに、バレるとしたら自分からかもしれない。これからは気を付けなければ、辰美に迷惑をかけてしまうことになる。