おじさんには恋なんて出来ない
病院に着くと何も考えず救急科へ向かった。平日だったため救急科はさほど混んでいなかったが、それでも数人がベンチで患部を抑えて待っている状態だ。
辰美はまっすぐ受付に行き声をかけた。
「すみません……っここに、香坂美夜────二十代ぐらいの女の子が運ばれて来ませんでしたか」
辰美があまりにも慌てた様子で声を掛けたためか、看護婦は驚いた様子だった。少し戸惑ったようだが、「少々お待ち下さい」、というと手元の紙を何枚かめくった。
「香坂さんのご家族の方ですか」
「そうです!」
もはや家族でもなんでもないがそんなことはどうでもいい。とにかく美夜が無事かどうか確かめたかった。
「第二処置室にいらっしゃいます。廊下の奥に進んで右手の部屋です」
返事もするのも忘れて廊下を早足で歩く。第二処置室、第二処置室────。呪文のように繰り返しながら歩くと、視線の先にその文字が掲げられた札が見えた。
扉の前まで来て、今更恐怖がどっと押し寄せた。ノックをしてすぐに勢いよく扉を開け放つ。
引き戸を開けると、真っ白な部屋の中に淡いグリーンのカーテンが半開きの状態で掛かっていた。そこから見えたのは、体を起こしてベッドに座る美夜の姿だ。
「美夜……っ!」
その姿を確認するなり辰美は美夜の元へ近づく。
「大丈夫か!? 怪我をしたのか!?」
「え……? た、辰美さん……っ!? なんでここに……仕事は────」
「そんなものはどうでもいい! 君の具合を聞いてるんだ!」
「あのー……」
辰美が血相を変えていると、横から声が聞こえた。そこにいたのは女性だ。なんとなく、見覚えがある気がする。
「君は……」
「すみません、美夜ちゃんと同じバイト先で働いてる萩原です。さっき電話したの私なんです」
そういえば、どことなく見覚えがあると思ったら、以前美夜と一緒にバイトをしていた女性だ。辰美はやっと冷静になって頭を下げた。
「詩音ちゃん、電話したって……」
美夜も驚いている様子だ。
「ごめん。実はさっき美夜ちゃんが手当てしてもらってる時、この人に連絡したんだ。怪我がひどかったらいけないと思って……」
「えっ」と、声を上げたのは美夜だ。
────どういうことだ?
辰美は訳がわからないまま美夜と萩原を交互に見つめた。
ふと、美夜の体に目が留まった。美夜の左腕にはガーゼが貼られている。左足にも包帯が巻かれていた。しかし一見、大怪我には見えない。
状況を理解できない辰美に、萩原は続けた。
「突然すみません。バイトが終わった後二人でお茶して、駅に向かって歩いてたら、宅配のバイクが交差点で転んで……それが美夜ちゃんの方に転がって来たんです。それで美夜ちゃんが怪我をして、救急車で運ばれて……私も慌てていて、その……」
萩原はなんだかバツが悪そうにも口をごもごさせた。
「詩音ちゃん……っこんな怪我ぐらいで連絡するなんて……」
「ご、ごめんって! だって美夜ちゃん倒れてたし、救急車なんてただごとじゃないと思って……」
「ちょっと捻っただけだよ!」
……捻っただけ?
辰美はようやく状況を理解し、大きくため息をついた。
「よかった……君が、事故にあったって聞いて……」
車に轢かれたか、大怪我をしたか、とにかくいろんな想像をした。知り合いが事故にあったことも救急車で運ばれたこともないため、とにかくただごとではないと思ったのだ。
「すみません。お騒がせしてしまって……」
「怪我はどんな具合なんだ」
「打身と、ちょっと足を捻っただけです」
「骨折とかしてないのか」
「大丈夫です」
「……そうか」
バイクが転んだ状況は分からないが、この怪我で済んだのなら大惨事ではなかったのだろう。しかし、一歩間違えば美夜も大怪我をしていたかもしれない。運が良かったとしか言いようがない。
「じゃあ、私そろそろ失礼します」
「え?」
萩原は荷物を持って立ち上がった。
「美夜ちゃんはゆっくり休んで。私店長に連絡しておくから。じゃあ、お大事に」
萩原は挨拶もそこそこに部屋から出て行った。急に部屋の中が静かになる。
さっきまでは慌てていたが、冷静になると、自分が酷く間抜けな姿を晒したような気がした。会社ではバタバタしたし、タクシーに乗っている時はイライラしたし、受付では大声で叫んで、みっともないこと極まりない。美夜もきっと驚いているのではないだろうか。
「……すまない。みっともないところを見せたな」
「いえ……」
「君がいなくなるんじゃないかと思って、生きた心地がしなかった。騒いですまなかった。先生はなんて?」
「あ……休んだら、帰ってもいいそうです」
「そうか……。送ろう。歩けるか?」
美夜はおずおずと頷くと、ベッドの上に投げ出していた足を床に下ろした。
どうやら、まったく歩けないわけではないらしい。だが油断は禁物だ。怪我はひどくないとはいえ、休ませた方がいいだろう。
辰美は美夜の荷物を持つと美夜を支えながら出口に向かってゆっくりと歩いた。
辰美はまっすぐ受付に行き声をかけた。
「すみません……っここに、香坂美夜────二十代ぐらいの女の子が運ばれて来ませんでしたか」
辰美があまりにも慌てた様子で声を掛けたためか、看護婦は驚いた様子だった。少し戸惑ったようだが、「少々お待ち下さい」、というと手元の紙を何枚かめくった。
「香坂さんのご家族の方ですか」
「そうです!」
もはや家族でもなんでもないがそんなことはどうでもいい。とにかく美夜が無事かどうか確かめたかった。
「第二処置室にいらっしゃいます。廊下の奥に進んで右手の部屋です」
返事もするのも忘れて廊下を早足で歩く。第二処置室、第二処置室────。呪文のように繰り返しながら歩くと、視線の先にその文字が掲げられた札が見えた。
扉の前まで来て、今更恐怖がどっと押し寄せた。ノックをしてすぐに勢いよく扉を開け放つ。
引き戸を開けると、真っ白な部屋の中に淡いグリーンのカーテンが半開きの状態で掛かっていた。そこから見えたのは、体を起こしてベッドに座る美夜の姿だ。
「美夜……っ!」
その姿を確認するなり辰美は美夜の元へ近づく。
「大丈夫か!? 怪我をしたのか!?」
「え……? た、辰美さん……っ!? なんでここに……仕事は────」
「そんなものはどうでもいい! 君の具合を聞いてるんだ!」
「あのー……」
辰美が血相を変えていると、横から声が聞こえた。そこにいたのは女性だ。なんとなく、見覚えがある気がする。
「君は……」
「すみません、美夜ちゃんと同じバイト先で働いてる萩原です。さっき電話したの私なんです」
そういえば、どことなく見覚えがあると思ったら、以前美夜と一緒にバイトをしていた女性だ。辰美はやっと冷静になって頭を下げた。
「詩音ちゃん、電話したって……」
美夜も驚いている様子だ。
「ごめん。実はさっき美夜ちゃんが手当てしてもらってる時、この人に連絡したんだ。怪我がひどかったらいけないと思って……」
「えっ」と、声を上げたのは美夜だ。
────どういうことだ?
辰美は訳がわからないまま美夜と萩原を交互に見つめた。
ふと、美夜の体に目が留まった。美夜の左腕にはガーゼが貼られている。左足にも包帯が巻かれていた。しかし一見、大怪我には見えない。
状況を理解できない辰美に、萩原は続けた。
「突然すみません。バイトが終わった後二人でお茶して、駅に向かって歩いてたら、宅配のバイクが交差点で転んで……それが美夜ちゃんの方に転がって来たんです。それで美夜ちゃんが怪我をして、救急車で運ばれて……私も慌てていて、その……」
萩原はなんだかバツが悪そうにも口をごもごさせた。
「詩音ちゃん……っこんな怪我ぐらいで連絡するなんて……」
「ご、ごめんって! だって美夜ちゃん倒れてたし、救急車なんてただごとじゃないと思って……」
「ちょっと捻っただけだよ!」
……捻っただけ?
辰美はようやく状況を理解し、大きくため息をついた。
「よかった……君が、事故にあったって聞いて……」
車に轢かれたか、大怪我をしたか、とにかくいろんな想像をした。知り合いが事故にあったことも救急車で運ばれたこともないため、とにかくただごとではないと思ったのだ。
「すみません。お騒がせしてしまって……」
「怪我はどんな具合なんだ」
「打身と、ちょっと足を捻っただけです」
「骨折とかしてないのか」
「大丈夫です」
「……そうか」
バイクが転んだ状況は分からないが、この怪我で済んだのなら大惨事ではなかったのだろう。しかし、一歩間違えば美夜も大怪我をしていたかもしれない。運が良かったとしか言いようがない。
「じゃあ、私そろそろ失礼します」
「え?」
萩原は荷物を持って立ち上がった。
「美夜ちゃんはゆっくり休んで。私店長に連絡しておくから。じゃあ、お大事に」
萩原は挨拶もそこそこに部屋から出て行った。急に部屋の中が静かになる。
さっきまでは慌てていたが、冷静になると、自分が酷く間抜けな姿を晒したような気がした。会社ではバタバタしたし、タクシーに乗っている時はイライラしたし、受付では大声で叫んで、みっともないこと極まりない。美夜もきっと驚いているのではないだろうか。
「……すまない。みっともないところを見せたな」
「いえ……」
「君がいなくなるんじゃないかと思って、生きた心地がしなかった。騒いですまなかった。先生はなんて?」
「あ……休んだら、帰ってもいいそうです」
「そうか……。送ろう。歩けるか?」
美夜はおずおずと頷くと、ベッドの上に投げ出していた足を床に下ろした。
どうやら、まったく歩けないわけではないらしい。だが油断は禁物だ。怪我はひどくないとはいえ、休ませた方がいいだろう。
辰美は美夜の荷物を持つと美夜を支えながら出口に向かってゆっくりと歩いた。