おじさんには恋なんて出来ない
辰美は驚いて雪美を凝視した。
────なぜ、雪美がそのことを? まさか、美夜のことを知っているのか?
「驚いたわ。真面目だったあなたがあんな若い娘と付き合ってるなんて。しかもライブハウスなんかに出入りしてるようないかがわしい……」
雪美はさも不快そうに顔を歪めた。
知っている。雪美は美夜のことを知ってる────。ぞっとしたものが背中を通り過ぎた。
なぜ雪美は美夜のことを知っているのだろう。会ったこともない。繋がりがないはずなのに。まさか、探偵でも雇ったのか。
なおも雪美は続けた。
「おかしいと思ったのよね。あなたが慰謝料も請求せず離婚しようなんて。私と早く離婚してあの女と再婚したかったんでしょう。そうでしょう。そうに決まってる」
「何を────何を馬鹿なことを言ってるんだ。彼女と出会ったのは君と別れたあとだ。そんなこと考えるわけないだろう」
辰美はやや強い口調で言い返した。
「離婚してすぐに他の女と付き合ってるなんて信じられないっ。やっぱり私と結婚してる時から浮気してたんでしょう!」
雪美の声に驚いて周りの客が一斉にこちらを見た。
「じゃなきゃあんなに冷静に対応できるわけない! あなたも浮気してたから驚かなかった。違う?」
「いい加減にしてくれ。どうして君は人に責任転嫁するんだ」
「あんな若い娘相手に恋愛なんて……気持ち悪い。まるで援助交際じゃない」
やがて雪美は冷ややかな侮蔑の目を向けた。
それは、何度か自分でも思っていたことだった。
美夜を思い始めてから、付き合っても、何度となく考えたことだ。けれど美夜とは後ろめたい付き合いをしているわけじゃなかった。本当の恋愛だった。
だがこうして他人に言われると、甘酸っぱい関係が途端に「いけないもの」に思えてくる。
「あんな若い女があなたみたいな中年を本気で相手にすると思ってるの? オジサンがたかられて可哀想に。遊ばれてるのよ。あんな尻軽そうな子、誰とでも遊ぶに決まってる」
「……っいい加減にしないか。彼女はそんな人じゃない。侮辱するような発言はやめてくれ」
「おっどろいた……まさか本気? あなた今年で四十四でしょう。彼女に老後の世話でもさせる気なの?」
「お客様。申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑になりますので……もう少し静かにしていただけますか」
横から店員が困ったように言った。
雪美はまた眉を顰めると、ふんと鼻を鳴らした。
雪美はいつからこんな女性になったのだろう。以前はこんなことを言うような性格ではなかった。もっと明るくて朗らかな女性だった。
離婚のせいなのだろうか。それとも、自分との結婚生活のせいでこんなふうになったのか。
だが、彼女がなんと言おうと復縁するつもりはない。
「……君とは復縁しない。話は終わりだ」
「そうやってまた逃げるつもり!?」
雪美が喚く。隣の席との間の壁がドン! と叩かれた。
また不愉快そうな顔をしながら、「あなただけ幸せになるなんて絶対に許さないから」と言葉を残し、雪美は席を立った。
辺りの視線は残された辰美に注いだ。とんでもない修羅場を目撃してしまったと思っているだろう。
だが、辰美は呆然としていた。恨みがましい一言はずっしりと胸の奥にのしかかった。
このまま店にいるわけにもいかず、会計をすませて店を出た。そのまますぐに駅に入った。電車が来るのを待つ間、先ほど雪美に言われた言葉がまた頭の中でリフレインする。
────あんな若い娘相手に恋愛なんて……気持ち悪い。まるで援助交際じゃない。
雪美じゃなくても言われたくなかった言葉だ。それを別れた元妻に言われるなんて、屈辱的だ。
頭んの中がぐちゃぐちゃだ。雪美に復縁を提案されたこと。美夜のことを知られていたこと。美夜との恋愛を否定されたこと。傷付いたなんて言葉では言い表せない。
美夜との関係は対等なものだと思っていた。お互いが望み、共にいて、認め合って、支え合える関係。互いを尊重していた。意見が食い違っても、話し合いが出来ていた。だからこそ今まで、ぶつかり合ってもうまくやってきたのだ。
しかし、他人から見れば歪んだ関係なのかもしれない。
もう四十代の自分と二十代花盛りの美夜。芸能人のように若々しい四十代ならいざ知らず、自分はただのサラリーマンだ。
一緒に歩いていると感じる視線。その意味は分かっていた。
一般的には理解されない。若い間は良くても、歳をとれば考えることも変わる。雪美のように「老後の世話」の心配をするようになるのかもしれない。
美夜は若いからそんなことまで考えないかもしれないが、十八歳も離れていれば必然、自分の方が早く歳を取り、死ぬ。
この先一緒にいるなら、そこまで考えなければならないのだ。彼女の若い時間を無駄に使ってはいけない。
歳をとると周りも老後のことを話し始める。保険の話をするようになる。だから分かっていた。分かっていたはずだった。
けれど美夜と一緒にいる時は考えなかった。自分も若くなった気分でいたのかもしれない。
「……恋愛になるような年齢差じゃないのにな」
辰美の小さな声は来たばかりの電車のブレーキ音にかき消された。
────なぜ、雪美がそのことを? まさか、美夜のことを知っているのか?
「驚いたわ。真面目だったあなたがあんな若い娘と付き合ってるなんて。しかもライブハウスなんかに出入りしてるようないかがわしい……」
雪美はさも不快そうに顔を歪めた。
知っている。雪美は美夜のことを知ってる────。ぞっとしたものが背中を通り過ぎた。
なぜ雪美は美夜のことを知っているのだろう。会ったこともない。繋がりがないはずなのに。まさか、探偵でも雇ったのか。
なおも雪美は続けた。
「おかしいと思ったのよね。あなたが慰謝料も請求せず離婚しようなんて。私と早く離婚してあの女と再婚したかったんでしょう。そうでしょう。そうに決まってる」
「何を────何を馬鹿なことを言ってるんだ。彼女と出会ったのは君と別れたあとだ。そんなこと考えるわけないだろう」
辰美はやや強い口調で言い返した。
「離婚してすぐに他の女と付き合ってるなんて信じられないっ。やっぱり私と結婚してる時から浮気してたんでしょう!」
雪美の声に驚いて周りの客が一斉にこちらを見た。
「じゃなきゃあんなに冷静に対応できるわけない! あなたも浮気してたから驚かなかった。違う?」
「いい加減にしてくれ。どうして君は人に責任転嫁するんだ」
「あんな若い娘相手に恋愛なんて……気持ち悪い。まるで援助交際じゃない」
やがて雪美は冷ややかな侮蔑の目を向けた。
それは、何度か自分でも思っていたことだった。
美夜を思い始めてから、付き合っても、何度となく考えたことだ。けれど美夜とは後ろめたい付き合いをしているわけじゃなかった。本当の恋愛だった。
だがこうして他人に言われると、甘酸っぱい関係が途端に「いけないもの」に思えてくる。
「あんな若い女があなたみたいな中年を本気で相手にすると思ってるの? オジサンがたかられて可哀想に。遊ばれてるのよ。あんな尻軽そうな子、誰とでも遊ぶに決まってる」
「……っいい加減にしないか。彼女はそんな人じゃない。侮辱するような発言はやめてくれ」
「おっどろいた……まさか本気? あなた今年で四十四でしょう。彼女に老後の世話でもさせる気なの?」
「お客様。申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑になりますので……もう少し静かにしていただけますか」
横から店員が困ったように言った。
雪美はまた眉を顰めると、ふんと鼻を鳴らした。
雪美はいつからこんな女性になったのだろう。以前はこんなことを言うような性格ではなかった。もっと明るくて朗らかな女性だった。
離婚のせいなのだろうか。それとも、自分との結婚生活のせいでこんなふうになったのか。
だが、彼女がなんと言おうと復縁するつもりはない。
「……君とは復縁しない。話は終わりだ」
「そうやってまた逃げるつもり!?」
雪美が喚く。隣の席との間の壁がドン! と叩かれた。
また不愉快そうな顔をしながら、「あなただけ幸せになるなんて絶対に許さないから」と言葉を残し、雪美は席を立った。
辺りの視線は残された辰美に注いだ。とんでもない修羅場を目撃してしまったと思っているだろう。
だが、辰美は呆然としていた。恨みがましい一言はずっしりと胸の奥にのしかかった。
このまま店にいるわけにもいかず、会計をすませて店を出た。そのまますぐに駅に入った。電車が来るのを待つ間、先ほど雪美に言われた言葉がまた頭の中でリフレインする。
────あんな若い娘相手に恋愛なんて……気持ち悪い。まるで援助交際じゃない。
雪美じゃなくても言われたくなかった言葉だ。それを別れた元妻に言われるなんて、屈辱的だ。
頭んの中がぐちゃぐちゃだ。雪美に復縁を提案されたこと。美夜のことを知られていたこと。美夜との恋愛を否定されたこと。傷付いたなんて言葉では言い表せない。
美夜との関係は対等なものだと思っていた。お互いが望み、共にいて、認め合って、支え合える関係。互いを尊重していた。意見が食い違っても、話し合いが出来ていた。だからこそ今まで、ぶつかり合ってもうまくやってきたのだ。
しかし、他人から見れば歪んだ関係なのかもしれない。
もう四十代の自分と二十代花盛りの美夜。芸能人のように若々しい四十代ならいざ知らず、自分はただのサラリーマンだ。
一緒に歩いていると感じる視線。その意味は分かっていた。
一般的には理解されない。若い間は良くても、歳をとれば考えることも変わる。雪美のように「老後の世話」の心配をするようになるのかもしれない。
美夜は若いからそんなことまで考えないかもしれないが、十八歳も離れていれば必然、自分の方が早く歳を取り、死ぬ。
この先一緒にいるなら、そこまで考えなければならないのだ。彼女の若い時間を無駄に使ってはいけない。
歳をとると周りも老後のことを話し始める。保険の話をするようになる。だから分かっていた。分かっていたはずだった。
けれど美夜と一緒にいる時は考えなかった。自分も若くなった気分でいたのかもしれない。
「……恋愛になるような年齢差じゃないのにな」
辰美の小さな声は来たばかりの電車のブレーキ音にかき消された。