おじさんには恋なんて出来ない
警察が来たのは十分ほど後だった。
警官二人は現場に駆けつけると、錯乱して取り押さえられていた辰美の元妻に近づき、辰美と、美夜のファンと話始めた。
「大丈夫ですか」
警官の一人が美夜に近づき、手を差し出した。
「……はい」
なんとか立ち上がったものの足がガクガクしている。
「どこを怪我しましたか。痛みますか」
「いえ……」
空気の抜けたような声しか出てこない。だが、言いたいことは伝わったらしい。警官はもう一人の警官と何か話していた。
「すみませんが、あなたも来ていただけますか。お話を伺いたいので」
「彼女は関係ありません」
警官が美夜に近づくと、辰美がそれを止めた。
「妻の誤解なんです」
「話を聞くだけですから」
辰美を宥めるように警官が言う。辰美は美夜の方に視線を向けると、頭を深く下げた。
「この度は大変申し訳ありませんでした。妻の勘違いで迷惑を掛けてしまって……謝罪の言葉もございません」
丁寧に、まるで取引先に謝るような態度だった。誰かに見せつけるように。
それは辰美なりの誠意だったのだろう。自分と美夜の関係が知られないよう、美夜に迷惑を掛けないよう、他人を装うこと。隠れるようにしか付き合えない自分たちの在り方。
美夜はなにも言えなかった。殴られたことも悲しかったが、辰美のよそよそしい態度を見ると、今まで縮めてきた距離を引き裂かれたような気分になった。
やがて警官二人に肩を支えられるようにして辰美の元妻は署に連れて行かれた。辰美と美夜もだ。
その後事情聴取を受けた。未だ冷静でない辰美の妻────雪美は部屋を分けられ、辰美と美夜は男性の警官に話を聞かれた。
まともに喋る気力がない美夜の代わりに、辰美が答えた。別れた妻が交際相手を恨んでしたことだと。
この騒動が痴情のもつれによるものだと発覚したため、警官は注意をしたが、それ以上は咎めなかった。美夜は頬を叩かれたものの、怪我はなかった。それに、訴える気もない。
美夜と辰美は解放され、警察署のロビーで二人佇んだ。辰美は無表情なまま、暗い顔で俯いている。
「……すまない」
小さな呟きだった。その声の大きさのように、辰美も消えてしまいそうに見えた。
それから辰美は動いた。警察署のロビーで電話をかけ、タクシーを呼んでいた。
「今……タクシーを呼んだ。それに乗って帰ってくれ」
────辰美さんは……?
そう聞こうと視線を向ける。だが、辰美は無表情のままその視線に応えた。
「俺は彼女を実家に連れて帰る」
放って置けるはずがない。分かっていたが、やはりなにも言えなかった。
そのうちタクシーの運転手がエントランスに入って呼びに来た。辰美はタクシーに札を預け、美夜に帰るよう促した。
美夜は結局なにも言えず、警察署を出た。外は真っ暗だった。白い息が夜の闇に浮かんだ。
警官二人は現場に駆けつけると、錯乱して取り押さえられていた辰美の元妻に近づき、辰美と、美夜のファンと話始めた。
「大丈夫ですか」
警官の一人が美夜に近づき、手を差し出した。
「……はい」
なんとか立ち上がったものの足がガクガクしている。
「どこを怪我しましたか。痛みますか」
「いえ……」
空気の抜けたような声しか出てこない。だが、言いたいことは伝わったらしい。警官はもう一人の警官と何か話していた。
「すみませんが、あなたも来ていただけますか。お話を伺いたいので」
「彼女は関係ありません」
警官が美夜に近づくと、辰美がそれを止めた。
「妻の誤解なんです」
「話を聞くだけですから」
辰美を宥めるように警官が言う。辰美は美夜の方に視線を向けると、頭を深く下げた。
「この度は大変申し訳ありませんでした。妻の勘違いで迷惑を掛けてしまって……謝罪の言葉もございません」
丁寧に、まるで取引先に謝るような態度だった。誰かに見せつけるように。
それは辰美なりの誠意だったのだろう。自分と美夜の関係が知られないよう、美夜に迷惑を掛けないよう、他人を装うこと。隠れるようにしか付き合えない自分たちの在り方。
美夜はなにも言えなかった。殴られたことも悲しかったが、辰美のよそよそしい態度を見ると、今まで縮めてきた距離を引き裂かれたような気分になった。
やがて警官二人に肩を支えられるようにして辰美の元妻は署に連れて行かれた。辰美と美夜もだ。
その後事情聴取を受けた。未だ冷静でない辰美の妻────雪美は部屋を分けられ、辰美と美夜は男性の警官に話を聞かれた。
まともに喋る気力がない美夜の代わりに、辰美が答えた。別れた妻が交際相手を恨んでしたことだと。
この騒動が痴情のもつれによるものだと発覚したため、警官は注意をしたが、それ以上は咎めなかった。美夜は頬を叩かれたものの、怪我はなかった。それに、訴える気もない。
美夜と辰美は解放され、警察署のロビーで二人佇んだ。辰美は無表情なまま、暗い顔で俯いている。
「……すまない」
小さな呟きだった。その声の大きさのように、辰美も消えてしまいそうに見えた。
それから辰美は動いた。警察署のロビーで電話をかけ、タクシーを呼んでいた。
「今……タクシーを呼んだ。それに乗って帰ってくれ」
────辰美さんは……?
そう聞こうと視線を向ける。だが、辰美は無表情のままその視線に応えた。
「俺は彼女を実家に連れて帰る」
放って置けるはずがない。分かっていたが、やはりなにも言えなかった。
そのうちタクシーの運転手がエントランスに入って呼びに来た。辰美はタクシーに札を預け、美夜に帰るよう促した。
美夜は結局なにも言えず、警察署を出た。外は真っ暗だった。白い息が夜の闇に浮かんだ。