【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
14 本名はハレンチヤローなのでしょうか
 契約しているとはいえ、予定外の早期滞在になった以上は、少しでも役に立ちたい。
 そう思ったステラは、早起きして使用人の手伝いを始めた。

 用意されていた中で一番シンプルなワンピースを着て腕まくりすると、髪をまとめて建物の外に出る。
 ちょうど使用人が薪割りをしているところに出くわしたステラは、そのまま手伝い始めた。

 薪割りのコツを掴んで軽快に斧を振り上げているところにシャーリーがやって来て、そのまま連れて来られたのが……この部屋。
 正面のソファーに座ったグレンは、何故か困ったように額に手を当てていた。


「おはようございます、グレン様。何か御用でしょうか?」
「おはよう。いや、そうじゃなくて。どうして朝早くから薪を割っているんだ?」

「最初に行き会ったからです。洗濯や料理もできますので、ご安心ください」
 薪を割るしか能がないのかと言われたのだろうと補足すると、グレンは首を振る。

「違う。料理も洗濯もしなくていい。もちろん、薪も割らなくていい」
「では……掃除でしょうか」

 掃除もできるが、こんなに大きな屋敷となると勝手が違う。
 一から教わらなくてはいけないだろう。

「だからそうじゃない。ステラは俺の婚約者だぞ。何で早朝から下働きをするんだ」
「ですが、使用人達はグレン様の事情を知っていると伺いました。つまり、私が中和作業のために住み込む魔女だと知っているはずです。それでしたら、婚約者として振舞う必要はありませんよね?」

 屋敷の外では、ステラはウォルフォード伯爵の婚約者なのだから、あまり品位を落とすことをするわけにはいかないだろう。
 だが、この場合はその範疇に入らない。

「屋敷の中では、私も使用人の一人です。互いに手伝うのは、当然のことだと思うのですが」
「いや。確かに事情は知っているが……そういう意味で言ったんじゃない」

「不埒な旦那様は説明が足りていませんね」
 頭を抱えるグレンに、シャーリーがこれみよがしにため息をついている。

「……ステラは使用人じゃない。中和以外は、自由にしてくれていい」
「自由というと、何をしてもいいということですか?」
 ようやく顔を上げたグレンがうなずくのを見て、ステラはにこりと微笑んだ。

「わかりました。では、治癒院の仕事と図書館での調べ物以外で空いた時間に、お手伝いすることにします」
「……わかっていない」

「そろそろ時間ですので、治癒院にいってきます」
 再び頭を抱えたグレンに頭を下げると、ステラはそのまま部屋を退出した。



「最近、屋敷にほとんどいないそうだな」
 ソファーに座って手を握った状態の黒髪の美青年は、そう言うと何故か不満そうにしている。

 急遽ウォルフォード邸で生活するようになって、ひと月近く経った。
 朝に使用人の手伝いをし、治癒院で仕事をし、そのまま図書館に行って調べ物をし、夜に戻ってグレンの中和をする。
 ほとんどをこのスケジュールで過ごしているので、確かに屋敷に滞在している時間は多くなかった。

「何か御用がありましたか? それとも、中和時間の変更でしょうか」
 今は夜遅めの時間だが、これはグレンの仕事に合わせたものだ。
 都合が変わってもっと早い時間にしたいのかもしれない。

「早朝でも夕方でも、大丈夫です。昼間は……ちょっとアレですが、必要なら院長に相談してみますね」

 グレンの手を握って魔力を流すのにも、だいぶ慣れた。
 間違っても美貌の伯爵の髪を大爆発させたり、荒野にするわけにはいかない。
 おかげで当初は気疲れしていたが、グレンと接するのに慣れると同時に、それも和らいでいた。

「そうじゃない。……ちゃんと、体を休めているのか? ずっと働いているか勉強しているだろう」
「大丈夫ですよ。買い物や料理の時間をすべて調べ物に費やせるのは、とても贅沢だと思っています。ありがとうございます」

 中和を終えて手を放すと、頭を下げる。
 中和作業で雇われた仮初めの婚約者だというのに、使用人達もとても親切にしてくれる。
 美味しい料理までいただいて、至れり尽くせりとはこのことだろう。

「それならいいが。明日は休日だろう? また図書館に行くのか?」
「はい。中和の時間には戻りますので、ご安心ください」
「それは別にいいが……わかった」


 グレンに挨拶をして部屋に戻ると、早速机にノートを広げる。
 せっかく一日図書館に行けるのだ。
 何を調べるのか予習しておいた方が、効率がいい。

 読みたい本をいくつか挙げていると、どこからか風が吹いてステラの髪を揺らす。
 何だろうと振り返ってみると、扉の隙間から黒猫の赤い瞳が見えた。

「……シュテルン?」
 ステラが名前を呼ぶと、にゃーんと返事をするが、何故か扉から動かない。
 
「どうしました? おいで」
 ステラが手招きすると、少し間をおいて黒猫が歩いてくる。

 相変わらずのフワフワモフモフで素晴らしい毛並みに、思わず手が伸びてしまう。
 抱き上げて膝に乗せると、頭から背中にかけて何度も撫でる。
 滑らかでしっとりとして、手触りが本当に気持ちいい。

「モフモフで可愛くて撫でると気持ちいいなんて。シュテルンは素晴らしい生き物ですね」
 当然だと言わんばかりににゃーんと鳴く黒猫に微笑むと、ステラはふと気付いた。

「そう言えば、シュテルンが来たらシャーリーさんに言わないといけません。箱入り猫さんは、大事にされていますね」
 抱き上げて扉に向かうと、何故かシュテルンがじたばたともがいている。

 ステラという見慣れない生き物を見学しに来ているのかもしれないし、挨拶してくれているのかもしれない。
 何にしても、モフモフの毛を撫でると幸せな気持ちになれるので、ありがたい存在だった。

「会いに来てくれてありがとうございます、シュテルン」

 両手が塞がって撫でられないのでぎゅっと抱きしめると、それまで暴れていた黒猫がぴたりと動きを止めた。
 じっとステラを見上げてきたが、赤い瞳が宝石のように美しい。

「黒猫で赤い目は珍しいとは思っていましたが。こうしてみると、グレン様の瞳の色にも似ていますね。だから、大事にされているのでしょうか」
 とにかくシャーリーを探そうと扉を開けると、そこには引きつった笑みの本人が立っていた。


「お姿が見えないので、もしやと思って来てみれば。……また、この不埒な猫はステラ様のお部屋に侵入したのですね?」
 ステラが抱えていた黒猫を持ち上げると、じろりと睨みつける。

 何だろう。
 大事な箱入り猫なのだろうが、今日もシャーリーのシュテルンに対する扱いは荒めだ。

「きっと、シュテルンは見慣れない人間が面白いのでしょう」
「気になるのはわかりますが。ステラ様の優しさにつけこむとは、何と狡猾で不埒な破廉恥野郎でしょう。……ご安心ください。ステラ様は私がお守りしますからね」

「え? ええと、はい。ありがとうございます……?」
 満面の笑みで黒猫をつまんだシャーリーを見送ると、ゆっくりと扉を閉める。


「……あれ。やっぱり、ハレンチヤローが本当の名前なのでしょうか?」
 ステラは首を傾げつつ、明日の予習をすべく机に戻った。
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